【神社の格付けチェック?】社格制度について解説

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「社格」という言葉を聞いたことがありますか?これは、神社の格式を示す言葉です。

普段は神社の格式なんてあまり気になりませんが、実は社格は時代の変化にともなって、何度も変更されてきたものなのです。

ここでは神社の格式を表す「社格」について解説します。

社格制度とは


出典:Pixabay

社格制度というのは、神社に格式をつける制度のことです。第2次世界大戦後は廃止されている制度ですが、古くは日本書紀にも記述が見られます。

社格制度の正確な開始時期ははっきりとしていませんが、平安時代の「延喜式」には神社のリストが掲載されています。時代によって社格制度における神社の分類も異なっており、非常に複雑です。

なお、社格は祭政一致に基づき、朝廷などによって定められていました。社格が廃止されている現在においては、各時代における社格の呼称などで他の神社との差別化を図っているケースも見られますが、従来ほど明確な基準として取り扱われているわけではありません。

上古社格制度


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上古社格制度は、法整備された社格が存在しなかった古事記や日本書紀が編纂される以前の制度です。この時期の書物では、神社の社格制度は天津社と国津社の二つに分かれていました。

天津社はその当時の朝廷の傘下にあった神社であり、高天原にいる神々や、高天原から地上に降り立った神々を信仰する神社です。一方、国津社はそれ以外の神社であり、元々その地に存在していた神々や、一部高天原から降り立った神々を信仰しています。

古代社格制度


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古代社格制度は、平安時代以降に定められた社格制度です。この頃、祭政一致により政治と神社の結びつきが強くなり、さらに律令国家として大和朝廷が強力な力を持つようにもなっていました。

制度化された社格はこの時期から始まったといわれており、待遇面でも差がありました。

延喜式神名帳では、朝廷の神祇官が直接管理や祭祀を行う官幣大社や官幣小社、各国の国司が神祇官の代わりに管理等を行う国幣大社、国幣小社という分類になっています。

なお、延喜式紙名帳に掲載されている神社を式内社、それ以外を式外社といい、前者を特に格式高い神社として祀っていました。

中世社格制度


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中世社格制度では、これまでの神社の分類や呼び方を大幅に変更しました。平安時代後期には朝廷から特別な権力を受けた神社二十二社をさらに細分類しました。

その際、国内で最も有力な神社を一宮と呼び、国司が赴任した時は真っ先に参拝すべき神社となりました。

ただし、この呼称は正式な文献では見当たりません。このほかには総社といって国司の参拝の手間を軽減させるため、国府近くに神社をまとめたものがあります

また、国司奉幣社といって、国司が参拝するための神社のリストとして使える資料も存在しました。

近代社格制度以降

近代以降の社格制度は、明治元年以降から第2次世界大戦が終わるまで、長期にかけて継続しました。その内容は延喜式を参考にしています。

格上の官国弊社には、官幣社と国幣社を含み、規模によって大・中・小の区切りがつけられています。一方、諸社には府社や県社、藩社などもあります。

現代では廃止されているとはいえ、規律に従って分類されていることから使い勝手が良く、旧社格制度として根強く神社の格付けとして認識されています。

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