400年もの歴史を持つ「高岡銅器」|二宮金次郎との深い関わりも

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高岡銅器の歴史


出典:竹中銅器

高岡銅器の起源はおよそ400年前に遡ります。当時の加賀藩主、前田利長が高岡城を築城するのに伴って、城下町の繁栄を図り、1611年、砺波(となみ)郡西部金屋村から7人の鋳造師を現在の高岡市金屋町へ呼び寄せ、鋳物工場を開設しました。

当初は主に鉄鋳物の生産に携わり、鍋などの日用品や鍬などの農具といった生活に欠かせない物を作っていましたが、江戸中期に入り生活・文化の向上に伴って、唐金(青銅)鋳物の需要が増加しました。

とりわけ仏具は寺社仏閣に限らず一般家庭でも広く求められ、高岡銅器がより普及していきました。明治・大正期に入ると、高岡銅器は美術品としても全国的に台頭していきます。高岡の花器や置物などは贈り物としても重宝され、大きく成長していきました。

また、廃刀令によって職を失った刀の細工師たちを高岡に呼び寄せ、新たな試みとして銅器に高度な技術の彫金を施した製品を世に送り出しています。これらの製品は1873年のウィーン万博にも出品され、大好評を博しました。一方で、大型銅像の制作も徐々に需要が増えていき、高岡銅器の一大部門として成長を遂げました。

代表的なものに、地元高岡市にある大佛寺の高岡大仏などがあります。今日、日本における銅器生産額で高岡銅器が占める割合は95%にも上ります。巨大な梵鐘から小さな茶器までを繊細に作り分けるその多彩な鋳造技術は、全国的に知れ渡っています。

高岡銅器の特徴


出典:竹中銅器

高岡銅器の特徴は自由かつ繊細な造形であり、しなやかなしっとりとした鋳肌です。時の経過とともに表情や感触に深みが生まれることから、人とともに成熟していく工芸品だと言われています。

高岡銅器の製造工程は、まず原型を作り、それから鋳造、そして仕上げ加工を経て着色・彫金を施すという過程を辿ります。研磨、彫金、象嵌といった加工技術、そして鋳造の技術が高次で融合され、高岡銅器に豊かな表現力を生み出しています。

高岡銅器に関わる職人

先に述べた製造工程において、高岡銅器では鋳造、仕上げ加工、着色といった工程ごとにそれぞれの職人が独立して作業を行う分業制を採用しています。

鋳造工程においては、職人は生型鋳造法、双型鋳造法、蝋型鋳造法、焼型鋳造法といった4つの技法を使っています。中でも主力となっているのが生型鋳造法で、木製または金属製の上下枠に原型を入れ、さらに砂を入れて押し固めたものを鋳型として鋳造を行う技法です。

1つの原型から複数の製品を作れることや、使った砂は繰り返し使用できることなどの利点があり、この技法が主力となって高岡銅器を発展させてきました。仕上げ加工には表面加工と彫金があり、いずれも高岡銅器を特徴づける技法です。

表面加工工程では、研磨を行って金属の持つ多彩な表情を引き出したり、象嵌によって他の金属を埋め込んだり、酸の腐食作用を利用して模様をつけたりといった作業を行います。

また彫金工程では、タガネを使い分けて高岡銅器の優美な模様を施します。そして着色工程において、高岡銅器の最終的な表情が決定することになります。

銅器は「錆を鑑賞する工芸」とも言われ、職人たちは古くから伝わる様々な素材や薬品を用いて金属を腐食させることで、銅の持つ本来の美しさ、鮮やかな色彩を引き出すのです。

二宮金次郎像と高岡銅器の関係について

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