柳宗悦とは|白樺や”民藝”、朝鮮との関係も紹介

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民藝運動の父・柳宗悦

柳宗悦は民藝運動で知られている思想家・美術家であり、世界的にもその名が知られています。

民藝運動とは何か、といいますと、日常的な暮らしの中で当たり前のように使われている、日用品の中に美を見出す運動であり、用の美を追求して、活用する日本独自の運動のことです。

今でもなお、この活動は続いています。民芸という言葉を知っている人も多いでしょう。この民芸という言葉自体が柳宗悦によって作られた造語です。

柳宗悦は民芸品が注目を浴びるきっかけとなった人物であり、様々な民芸品コレクターが生まれた原因ともいえるでしょう。日本的な価値の一つとして実用性の美があるわけですが、柳宗悦はその走りともいえるきっかけを作った人物なのです。

柳宗悦が生んだ「民藝」という言葉運動


出典:Wikimedia Commons

柳宗悦が民芸に価値や美を見出し、その言葉が生まれたきっかけといえるのが、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いです。

特に染付秋草文面取壺という壺を見て、柳宗悦は朝鮮の工芸品に大きく心魅かれた、とされています。その出会いを通じて、朝鮮の美術に興味を持ち、朝鮮王朝時代の家具などに素朴な美意識を見出すことになったわけです。

それにより柳宗悦が民藝という言葉、つまりは一般の民が使うものに美しさを見つけ出した、と言われているのです。1925年に民藝という言葉を用いた、という記録があります。

このとき、初めて民藝という言葉が生まれたといっても過言ではないのです。

柳宗悦と白樺

白樺と柳宗悦は大きな関わりを持っています。柳宗悦は志賀直哉・武者小路実篤ら学習院の仲間達と文芸雑誌『白樺』の創刊に参加しました。

この白樺というのは人道主義・理想主義・個性尊重などを唱えた文芸雑誌であり、1910年4月に創刊されました。柳宗悦はその白樺派の活動を中心として、日本文学で大きな役割を果たしていたのです。

この雑誌では主に個性主義や自由主義を基調としており、ここでの気風が柳宗悦に大きな影響を及ぼしたわけです。

柳宗悦と朝鮮の関係

出典:写真AC

柳宗悦の民藝の基本は朝鮮の美術品、家具になります。

染付秋草文面取壺を見て宗悦は民の使うものに美意識を見出したわけですから、基本となる部分に朝鮮があるのは間違いないのです。また、1916年以降の柳宗悦は頻繁に朝鮮半島を訪ねて、仏像や陶磁器などの工芸品を収集したり、鑑賞していたりしていました。

柳宗悦は朝鮮民族固有の造形美に魅力を見出し、それらを生み出した朝鮮民族に敬愛の意を表しました。そして、当時の日本の朝鮮に対する施策を批判するなど、柳宗悦は朝鮮を愛し尊敬の心を寄せていたといえます。

そして、ついには朝鮮民族美術展覧会を開催し、1924年には朝鮮民族美術館を作るに至ります。日本ではなく、ソウルに設立をして、李朝時代の無名の職人によって作られたもの、それも多くが民衆の日用雑器を収集、展示しました。

まさに柳宗悦と朝鮮というのは切っても切れない関係にあるといえますし、美意識、価値観の出発点が朝鮮の民芸品であったわけです。

柳宗悦の著書「手仕事の日本」


出典:amazon.co.jp

柳宗悦の著書として、手仕事の日本、というのがあります。この本は日本全国を旅しながら、その地方の民藝品を紹介していくものであり、手仕事の紹介が淡々と行われていきます。

飾り気のない文章ではあるのですが、どうにも魅力的に見える実用の美を感じられる名著になっています。難解な言葉や華美な表現はないのですが、わかりやすく、それでいて綺麗で丁寧な質実さを感じる文章で日本中の手仕事、工芸が紹介されており、独特の世界観を味わうことができます。

加えて、作者である柳宗悦の思想もかなり見えるものになっており、手仕事を紹介しながら、日本にとって手仕事がどのように重要であるのかを訴え、日本は素晴らしい手仕事ができる国である、という認識を呼びかけたユニークな民藝の案内書になっています。

民藝の記録としても価値があり、一読することは十分に人生の糧になるといえるほどの本になっています。

ぜひこの本を入門書として、民芸の世界への一歩を踏み出してみてください。

 

柳宗悦が作った日本民藝館

日本の手仕事や民芸の魅力を伝える「日本民藝館」を紹介

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