江戸情緒あふれる旅のオアシス『宿場町』の楽しみ方

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関宿


出典:写真AC

関宿(せきじゅく)は五十三次と言われる東海道の江戸から数えて47番目の宿場町で、現在の三重県亀山市に位置します。北陸越前の愛発関、信州美濃の不破関と共に日本三関と言われる鈴鹿山脈の鈴鹿関があることから関宿と呼ばれました。

伊勢別街道と大和街道を結ぶ宿場町として多くの旅人で賑わいを見せた町並みは現在にも受け継がれ、東海道で唯一現存する宿場町と言われています。

1980年に町並み保存会が発足し、1984年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、1986年には日本の道100選に選ばれました。元禄時代から続く伝統行事「関宿祇園夏まつり」は毎年7月下旬の2日間催され、多くの人出で賑わいます。

日中は神輿、夜には豪華絢爛な山車が練り歩き、「舞台まわし」と呼ばれる山車の回転で観客を沸かせています。

それ以外にも2~3月の東海道のおひなさまin亀山宿・関宿、8月下旬の関宿納涼花火大会、11月下旬の東海道関宿街道まつりなどが催され多くの観光客で賑わっています。東海道の宿場町の歴史と祇園まつりの雰囲気を感じさせるお祭りが、元禄時代から続いているのには驚かされます。

おすすめの宿場町⑥

熊川宿


出典:写真AC

熊川宿は小浜と京を結ぶ若狭街道(鯖街道)に存在する宿場町で、現在の福井県三方上中郡若狭町に位置します。

若狭は古くから京の朝廷に食料を献上する御食国(みけつくに)として非常に重要な位置にありました。日本海で取れた魚介類を、京都まで搬送するのに利用されたのが若狭街道です。

なかでも鯖が多く運ばれたために若狭街道は「鯖街道」と呼ばれるようになりました。熊川は交通と軍事の要所として重要視され、この場所に宿場町として開かれたのが熊川宿で、40戸ほどの寒村であった熊川が、最盛期には200戸を超える町へと成長を遂げます。

旧城下町として現存する熊川宿は、全盛期の半分程度にまで減少したものの、多様な形式の建物が建ち並んでいるのが特徴だと言えます。

例えば、町屋と町屋の間に土蔵が建てられたり、街道に対して棟を平行に配置した「平入(ひらいり)」の建物と、棟を直角に配置した「妻入(つまいり)」の建物が混在したり、柱が見える建築様式の「真壁(しんかべ)造」と柱や軒などの木の部分を壁で隠す様式の「塗込造」が混在する町並みは見るものの目を飽きさせません。

非常に個性的な建築物が立ち並ぶ熊川宿は、1996年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。宿場町を山車が巡航する白石神社例祭は5月上旬、1990年に約80年ぶりの復活となった「てっせん踊り」は10月中旬に催されます。

おすすめの宿場町⑦

大内宿

出典:写真AC

大内宿は会津城下と下野(しもつけ)の国(旧栃木県今市市)を結ぶ会津西街道(会津側では下野(しもつけ)街道、南山通りとも呼ばれていました)に存在する宿場町で、福島県南会津郡下郷町に位置します。

会津西街道は参勤交代や江戸への米の輸送、会津藩と友好関係であった米沢、新発田両藩なども頻繁に利用する重要路線でした。街道内に25存在する宿場町の中で、大内宿は会津から3番目の宿場町で半農半宿の藁葺き屋根の立ち並ぶ素朴な宿場町ですが、会津城下から約20キロに位置する大内宿は多くの旅人で賑わいました。

明治維新以降は宿場町のニーズが減少し、維持管理の大変な藁葺き屋根の上にトタンを被せるなど、景観を損なった時代もありましたが町並み保存の気運が高まり、1981年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。

藁葺き屋根の集落が話題となり現在、年間80万人以上の観光客が訪れる福島県を代表する観光地へと変貌しました。

毎年1月の「だんご差し」2月の第2土日には「雪祭り」、7月2日には「半夏祭り」、8月「三仏堂祭り」、「盆踊り」などのお祭りが催される他、3月の残雪や花が溢れる4月、6月は菖蒲が咲き乱れ、8月にはホタルが舞い踊り、11月には朝霧に煙った雪囲いの風景など見どころが満載の宿場町です。

宿場町の楽しみ方。知る、泊まる、食べる。


出典:ぱくたそ

宿場町には江戸情緒が溢れるなんともいえない響きがあります。趣のある旅籠に泊まる経験は素敵ですし、町中を散策するだけでもワクワクするものです。郷土料理に舌鼓を打ちながら、宿のスタッフの人との交流にもチャレンジしてみましょう。思わぬ穴場スポットを教えてもらえることもあります。

また、伝統工芸品の産地となっている場合もありますから、熟練の技術を持つ匠の技を見学するのも魅力的です。江戸時代の雰囲気を色濃く漂わせる宿場町は、外国人観光客に人気の観光スポットですが、私たち日本人が訪ねても十分楽しめる魅力的な場所だといえます。

宿場町は旅の”オアシス”

現在のように交通機関が存在しなかったといっても過言ではない江戸の時代には、多くの旅人は徒歩で旅程をこなしていました。道路インフラも現在とは比較にならないほど脆弱だったことは安易に想像できます。

当時の旅行は「命がけの旅路」であり、一歩ずつ歩みを進める当時の旅人にとって、宿場町はまさに極楽、旅のオアシスのような存在だったでしょう。先人達の息遣いが聞こえてきそうな宿場町は、現代社会で失われつつある「旅情」を感じさせてくれる素敵な空間だと言えます。

 

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