伝統を守った手法で作られる、京都緑寿庵清水の「究極の」金平糖

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手のひらサイズの小さく包まれた外袋を開けると零れ出る、キラキラ輝く星のような金平糖。駄菓子として、小さい頃に食べた経験のある方も多いかもしれません。

金平糖は、日本に古くから伝わる伝統のあるお菓子ですが、本格的に作るのには非常に手間ひまがかかり、生産数も限られてしまいます。今回は、昔ながらの製法で作られている緑寿庵清水の金平糖についてご紹介します。

今では日本の定番のお菓子、金平糖とは

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現在の日本に伝わる金平糖は、諸説ありますが1543年に頃ポルトガルの宣教師たちが日本に来航した際にもたらされたとされています。ポルトガル語で砂糖菓子を意味する、confeito(コンフェイト)が日本語の金平糖の語源になりました。当時は非常に希少なお菓子として、織田信長にも献上されたと言われています。その後、少しずつ国内で広まり、金平糖は日本でも作られるようになりました。長崎から京都、そして江戸で生産が行われ、広く庶民にも親しまれるお菓子のひとつとなっていきました。

今では、駄菓子として小さなこどもが食べるためのお菓子、大人向けのお茶菓子、さらに皇室で使用される引き出物としても使用されています。現在でも即位や結婚などのお祝いの席で、ボンボニエールと呼ばれている小さなシルバーや陶器製の入れ物にカラフルな金平糖を詰めて、招待客に渡すのが通例となっています。

金平糖は形が崩れにくく、軽く、そして美しいことから、日本に伝わってから500年近く経った今でも、多くの人に愛され続けているのです。

伝統的な製法で作り続けられている緑寿庵清水の金平糖

京阪電車と叡山電鉄の中継地、出町柳駅からほど近い場所に緑寿庵清水の店舗はあります。出町柳は京都市内中心部から京都北部へ移動するためには欠かせない駅で、鴨川に面した場所にあり、北側には下鴨神社や糺ノ森(ただすのもり)、東側に進めば銀閣寺、西側に向かえば仁和寺など観光スポットも非常に多く集まっています。

金平糖の日本唯一の専門店である緑寿庵清水の創業は弘化4年(西暦1847年)と古く、200年近くもの伝統を誇っています。金平糖作りは非常に難しく、気候や環境、釜の温度の影響を大きく受けるため、職人さんの手によってその日の状態に応じて変化を与えながら作られています。金平糖の星のように見える小さな美しい突起は、少しずつ砂糖が固まる工程で仕上がります。しかも、完成するまでに16日間から20日間ほどかかり、じっくりと時間をかけて作られています。

金平糖作りは時間がかかる上に、製造方法を完全に体得するまで20年以上かかるとされています。緑寿庵清水は現在、創業から五代目まで続いており、その手間ひまのかかる製法を継承しながら、伝統を守り続けています。

本店でしか買えない人気商品、「究極の金平糖」

通常の金平糖も大変な人気ですが、緑寿庵清水にはさらに希少価値の高い金平糖があります。普通の金平糖を作るだけでも様々な工程が必要で難しいものとなっていますが、製造段階の高温下の釜の中で溶けてしまうはずのチョコレートが使われている金平糖があり、究極の金平糖と呼ばれています。

これは、長年金平糖作りに携わってきた職人の技術の賜物で、完成までに約18日間かかります。普通は溶けてしまうはずのチョコレートが金平糖の形となって、保存しやすく持ち運びやすいものに変身したものが、究極のチョコレートの金平糖なのです。通常、1月のバレンタインデーのシーズンに合わせて限定発売され、すぐに完売してしまう人気商品となっています。

予約制となっていますが、毎年キャンセル待ちが続出するとのことなのでお早めの予約をオススメします。京都本店だけの取り扱いとなるため、比較的ゆっくりと観光できるシーズンである冬に京都を訪れる際には、緑寿庵清水の金平糖を検討してみてはいかがでしょうか。

日本に伝わる技術力の高さを感じる金平糖

京都には数多くのお土産品がありますが、緑寿庵清水の金平糖もその製法と美しさから、まさに選ばれし一品と言えます。小さな頃に食べた記憶を懐かしむこともできる緑寿庵清水の金平糖は、様々な世代の人に喜ばれるお土産としても、京都の伝統を感じることのできるお菓子としても楽しむことができます。

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