神棚から神輿へ。時代と共に受け継がれる技術|宮師 / 宮崎元夫、修一

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株式会社宮宏御宮製作所 

宮師 3代目 / 宮崎元夫 4代目 / 宮崎 修一

お宮を造る専門の職人を『宮師』という。

宮師としては、元夫3代目で元夫の息子である修一が4代目。宮宏お宮製作所では、二人の宮師が、様々な形や種類のお宮を、伝統の技で作り上げていく。

埼玉県さいたま市にある宮宏御宮製作所。

せんげん台駅からバスに乗り継ぎ、徒歩10分ほどで到着。

黄色の塗装で施された壁がとても印象的だ。インターホンを鳴らすと3代目の宮崎元夫さんと息子である4代目の修一さんが出迎えてくれた。

伝統を受け継ぐもの・変化するもの

神棚、御宮は、姿や形を僅かに変えて私たちの生活の中に馴染んでいる。伝統の職人技を伝えていく上で、時代のニーズと共に変化しているものもあるそうだ。

「初代はタンスと神棚を作っていましたが、時代とともに親と同じことやっていても食べていけないということで、それぞれの代ごとで作るもの・やり方が変わってきています」

会社は創業90年近く。3代目の元夫さんは先代の神棚の技術を継承しながら、営業に重点を置き、外の大宮を始め、4代目の修一さんになってからは神輿を始めたそうだ。

サラリーマンになるイメージがなかった

ここからは4代目の修一さんに話を聞いた。代々続く宮師の家系で生まれ育った修一さんに人生を振り返ってもらった。

「小さい頃からモノづくりが好きで、小学生の頃は図画工作とか、とにかくなにかモノを形にすることが誰よりも好きでした。なにより自信がありましたね」

小さい頃から親の作業場で遊んでいたことが自信になったとのこと。

「子供のころから親が職人の仕事をしていた環境で育ったので、将来、サラリーマンになるというイメージがなかったんですよね」

修一さんが宮師の世界に足を踏み込んだのは18歳の時。28歳までの10年間、外部の職人のもとで修行をしてきた。

厳しい修業時代、内に秘めた想い

「ほんとは卒業して家業を手伝うのが楽じゃないですか。でも親父にやらせないよって言われました。それには理由があって、3代目が子供の頃は家業が忙しく、外の景色を見れなかったんですね。だからこそ4代目である僕には外の景色を見てきたほうがいいという思いが込められていたんです」

修行時代は親方も厳しい人で、1,2年目は八方塞がりだったという。

「逃げ出したいという気持ちもありましたが、うちにその技術を持ち帰りたいという気持ちの方が強かったですね。最初の1,2年でも親方の技術の凄さだけはわかっていたので、踏ん張るだけ踏ん張って、盗んでいきたいと思っていました」

外の景色を見て得たものとは

「新しい発見ですね。うちでは体験できないことがたくさん体験できたと思います。例えば、この加工はこういう風にしているのかとか、こんなやり方でできるのかといううちでは見たことのない加工の仕方、仕事のやり方がありましたね」

修一さんの一番のこだわりは木の地肌。ペーパーで磨くではなく、刃物の切れ味で勝負している。

宮師という仕事を残し続けたい

「なかなか特殊な業種で同業が少ないんですけど、このまま続けていきたいとは思っています。最初はタンスと神棚しかやっていなかったですが、3代目になって大宮を始め、私になってからは神輿を始めました。どんな形でもいいので、続けていきたい。親父が自分に対してやってきたように。自分の子供がやりたいって言えばですけど、やれる環境だけは守っていきたいです」

修一さんはゴーカートが趣味で、仕事が落ち着いていた時は子供と一緒に走りに行くとのこと。家族と仕事、そして遊び全てに全力を注ぎ、生きている姿はとても魅力的だ。

最後に体験希望者の人たちへのメッセージをお願いした。

「特殊な業種なので普段見れないものが見れるし、他では体験できないことができるので、面白いと思います。興味がある人には気負いしないで気軽にきてほしいですね」

インタビュアー後記

宮宏御宮製作所では家族一丸となって経営を続けており、みなさん気さくで心優しい方たちでした。実際に機械で磨いた木と修一さんが鉋で研いだ木を触ってみましたが、あきらかに違いがわかるほど鉋で研いだ木はつるつるでした。体験でしかわからない技術、こだわり、熱い思いがあると思います。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

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