元宮大工から古民家再生名人へ|株式会社開源/温水行裕

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株式会社開源 代表取締役

温水行裕(69)

<古民家とは>

現在の戸建て住宅は「築100年持ったらすごい」と言われるが、古民家を基準に考えている温水さんにとって、家というものは、本来は築300年持つのが普通だという。古民家は数世代に渡って長く住み続けられるように設計されており、非常に長持ちするように作られている。現在、古民家に住む人は昔に比べてかなり少なくなったが、古民家というものは、優れた日本人の知恵が詰まった素晴らしい建築物である。

温水さんは15才から宮大工の厳しい修行を始めた。現在は数少ない古民家の専門家として建物に関する事業を複数営んでいる。そんな古民家を愛し、熱く語る、古民家大工の温水さんに話を聞いた。

古民家大工とは今ある家を昔の家に復元する仕事である。まずは古民家の良さについて聞いた。

古民家の魅力は「家族の絆の深まり」

「俺が思う今の家と古民家の一番の違いはさ、現代の家は一人ひとり個別の部屋が多いのよ。だから周りに気を使わなくても済んじゃうんだよ。音楽をガンガン鳴らそうと、うるさくしてもね。逆に子供が何をしているのか分からないということだよ。それが現代の家さ」

「それに対して、古民家は一つの広間だよ。だから誰が何をしているのか、顔も見えるし、喧嘩している声も聞こえるわけさ。同じ空間で、同じ温度の中に住んでいるわけだよ。襖を閉じれば一つの部屋にはなるけれど、音は聞こえる。だからお互いに気を使うんだよ。これが古民家と呼ばれる昔の家だよ。そうやって日本人独特の性格ができてきたんだよ」

古民家で生活をしていくなかで、日本人の奥ゆかしさが育まれたということ。最近の家ではリビングを広くとって、対面キッチンが増えてきた。それは子供がよく見えるようにする為であり、言い換えると昔の家に戻りつつあるということだそうだ。

10歳で目覚める古民家大工への想い

温水さんがこの世界に足を踏み出そうと決めたきっかけはなんだったのか。

「あなたはまだ若いからご存じないかもしれないけど、俺は伊勢湾台風の時に家が無くなったんだよ。当時は親父が土手に穴を掘って、そこに屋根をかけて、入口は筵(むしろ)だった。5人で(両親、弟、妹)半年くらい暮らしたな。それで親父を手伝って掘立小屋を作ったのさ。その頃からかな大工になろうと思ったのはさ。当時は10歳だったかな。住むとこないから自分で早く家を作れたらと思ってさ」

わずか10歳で大工への道を志すようになった温水さん。そのなかでも古民家への思いが強いのには理由があった。

自分の好きなことをやる

「それは大工の信念、技術、人間性、すべてが古民家には集約していると思っているからだよ。だから今の家みたいに金物ではないのに、潰れにくいということ。現代の家は鉄をよく使うから、鉄が邪魔になって昔の技術を使えない。だから俺は今の家を作るのはあまり好かんのよ」

なにより”自分の好きなことをやる”ことが大事で、それが温水さんにとっては古民家なんだと熱く語ってくれた。

 

15歳から古民家大工として生きてきて現在は69歳になる温水さん。今後の目標について聞いてみた。

未来へのバトンパス

「弟子が一人前になること。俺でも50数年かかってるから、それを見ることはできないだろうけど、それが目標であり、楽しみでもあるんだよね」

今いる弟子3人が古民家大工になった最初のきっかけは温水さんという”人”に惹かれてこの世界に入った。でも今ではやってることが好きになっているという。

最後に体験希望者へのメッセージをお願いした。

「1回でいい、古民家と言われる建物を見てほしい。好きになるから。そして自分で作ってほしいし、楽しんでもらいたい。見て触れるだけで終わらず、本気で作るときは、一緒につくりましょう。手伝いますから」

インタビュアー後記

「家族とは、家とはなにか」ということをすごく考えさせられるインタビューでした。温水さんは15歳から現在まで大工として1本で生きてこられた方です。本気で好きな仕事に打ち込んでいる姿はとても魅力的で、体験を通じて温水さんのように仕事を熱く愛せる人が増えたら嬉しいです。温水さんは木が好きな人、古いものが好きな人、木の梁や柱が見える独特なつくりである古民家が好きな人に一人でも多く会いたいとおっしゃっていました。

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