日光東照宮にある見ざる聞かざる言わざるの三猿。皆さんは、見ざる聞かざる言わざるの正確な意味をご存知でしょうか?今回は由来や歴史も含めて、その見ざる聞かざる言わざるについてご紹介します。
見ざる聞かざる言わざるとは?
出典:ウィキメディアコモンズ
見ざる聞かざる言わざる、ということわざを聞いて思い浮かべるのはどのようなものでしょうか? 多くの方は日光東照宮にある三匹の猿を思い浮かべることでしょう。その猿は「三猿」と呼ばれ、それぞれが両手で目、耳、口を塞いでいます。
日本語で語呂合わせをされているので、見ざる聞かざる言わざるは日本発祥の言葉と思われるかもしれませんが、実は違うのです。
古代エジプトにも三猿をモチーフにしたものは存在し、それがシルクロードを渡り、長い時を経て日本に伝わったと考えられています。 今回は、その三猿、見ざる聞かざる言わざるについての知識を深めていきましょう。
見ざる聞かざる言わざるの意味
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それでは、見ざる聞かざる言わざるの言葉の意味を解説します。ことわざは、私たちに対して戒めや守るべき規範などを分かりやすく伝えるという役割があります。
もちろん見ざる聞かざる言わざるにも込められた戒めはあります。それは、「人は自分にとって都合の悪い事柄や、相手の欠点を見たり、聞いたり、言ったりしてしまいますが、それは しないほうがよい」というものです。
口の軽い人、欠点を見逃さない人、うわさ話を聞きたがる人、それらの人はあまり良い評判を得られません。 この言葉は、そういったことをしないことで、自分が悪い人にならないように注意すべきだと教えてくれるのです。
見ざる聞かざる言わざるの由来
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この言葉の由来は、様々な説があります。古くは古代エジプト、アンコールワットなどにも三猿のモチーフが存在します。 シルクロードを渡りながら言葉が伝わり、その地で教えられることとなったのです。
論語にも、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」という一節があります。これは、「礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、 礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざれば行うなかれ」というもので、見ざる聞かざる言わざると同じ意味です。
ただし、日本においては”4つ目の行うなかれ”が省かれています。その理由は不明とされていますが興味深いエピソードです。 この、論語の言葉が日本に伝わったのは8世紀頃、天台宗の留学僧によるものだと言われています。人の基本的な振る舞いとして、 古くから見ざる聞かざる言わざるは大事であると思われていたのです。
見ざる聞かざる言わざるとキリスト教の関係
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日本における見ざる聞かざる言わざるという言葉の意味は、先ほど記述した通りです。語呂合わせとしての面白さがありますが、これは論語の「ざれば」を 変えたものです。「ざれば」、とは「○○でないならば」、という言葉遣いであり、「ざる」、とは「○○しない」という使い方です。
ざる、が猿になり日光東照宮の三猿になったわけです。この三猿は、アメリカにも伝わっており教会で使われています。 「猥褻なものを見ない」「性的な噂を聞かない」「嘘や卑猥なことを言わない」という内容で、キリスト教の教えにも適うものとなっているのです。
このように、見ざる聞かざる言わざるは人種や宗教が異なっても、人のベースにある道徳として通用するものと言えます。
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4匹目の猿「中国の四猿」とは?
出典:写真AC
日本に伝わった三猿ですが、中国では四猿であることをご存知でしょうか? 先ほどの由来で書いた、「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」が それに当たります。省かれた言葉、礼にあらざれば行うなかれ、が4匹目の猿です。
見ざる聞かざる言わざるはそれぞれ、目、耳、口を塞いでいます。 それでは、行わざる、はどこを塞ぐのでしょうか。それは股間です。そこから読み取れるのは、性的なことの抑制であり、浮気をしてはいけないという教えです。
キリスト教にもある姦淫するなかれ、と同じ意味の言葉となります。4という数は日本では不吉であり、し=死と読めるため日本では三猿になったと いう説もありますが、先ほど書いた通り理由は不明なのです。
見ざる聞かざる言わざる所縁、日光東照宮の三猿の歴史
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日光東照宮の三猿の歴史を紐解いてみましょう。そもそも日光東照宮は徳川家の菩提寺(ぼだいじ)として建立されたものです。ということは、江戸時代の前半にはすでに建立されているはずで、三猿もその時期には存在していたわけです。
三猿は掲げられて以降、定期的な修理が行われています。前回の修理は 2016年に行われましたが、翌年のお披露目の際にあまりの変貌ぶりに物議を醸したのは有名な話です。
元々の三猿が分からない現状では致し方ない部分もありますが、次回の修理で元に戻しては、という意見もあるようです。そんな三猿ですが、日光東照宮には8つの猿の彫刻があることはあまり知られていません。
見ざる聞かざる言わざるはあくまでも一部なのです。人の一生を猿をモチーフにして描いたものの1つであり、他の彫刻もそれぞれに深い意味を持っています。
見ざる聞かざる言わざるを大事に
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見ざる聞かざる言わざるは、今の私たちにとっても重要な言葉です。様々な情報が氾濫する現在では、見てしまう、聞いてしまう、言ってしまうことは 避けられないものでもあります。
しかし、古くから世界中に広がった言葉である以上、時代や世情に関係なく通用する言葉であることは間違いありません。 人種や宗教も超えて教えられる見ざる聞かざる言わざるという言葉、これからも大事にしていかなければなりません。