気になる職業チェック!「鍛冶師」の仕事って?年収・勤務形態は?

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鍛冶師になるための方法


出展:写真AC

鍛冶師になるためには、特に資格が必要なわけではありません。しかし、技術を学ぶことは必要です。鍛冶工房の中には、月謝を取って技術を教えてくれるところもあるのですが、特別学校があるわけではないのです。そのため、まずは鍛冶師のところに弟子入りして、技術を学ぶのがいちばんの方法です。

インターネットの動画を見るだけではわからないこともあるでしょうし、実際に体を使ってやってみないと加減などはつかめません。弟子入りをすれば、匠の技を目の前で見られる上に、工房には個人でなかなか用意するのが難しい道具や機械もそろっています。わからないことも聞ける環境にある弟子入りは、知識だけでは成り立たない鍛冶師を目指すにあたって、必須事項なのではないでしょうか。

鍛冶師の歴史


出展:写真AC

中世に入ると鉄の供給が増え、多くの人が鉄器を利用できるようになり、鉄器工業の技術が大きく発展しました。この時代に、鍛冶屋は専門性によって細分化され、刀鍛冶・農具鍛冶(野鍛冶)・鉄砲鍛冶・庖丁鍛冶など、作る品目ごとに分化されていきます。

明治時代に入ると、近代的な製鉄技術が導入されたことにより、鍛冶屋の大部分は廃業に追い込まれます。しかし、中にはその知識と技術を生かして、金属加工業に転じ、機械部品や生活用具の生産にあたる町工場を始める鍛冶師もいました。このように、日本の近代工業を支える裏方として活躍していったのです。現在では、伝統的な技法を継承する鍛冶師は、かなり少なくなっています。

歴史上有名な鍛冶師

それでは、鍛冶技術の発展に貢献した、歴史に名を残す有名な鍛冶師を5名紹介します。

五郎入道正宗

鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍した、相模国鎌倉の刀鍛冶師。多くの刀工を育て上げた功績も讃えられています。

作品に銘入りのものは非常に少なく、国宝として作品が9点存在していますが、そのほとんどが無銘。有名な正宗のうち、現存しているのは刀と短刀で、極めて美しくかつ高品質であると評価されています。

貞宗彦四郎

鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した、日本の刀鍛冶師。彼の作品は史上最高の刀との呼び声も高く、正宗の弟子の一人でした。彼自身にも4人の弟子がいたとされ、その作風は信国に受け継がれています。

刀身の繊細な彫り物を特徴とし、現存しているものはかつて秀吉が所有したとされる長銘貞宗しか残されていません。”

千子村正

室町時代に活躍した、伊勢国桑名の刀鍛冶師。非常に優れた刀工で、彼の作品は表と裏で刃文の焼きがそろっているのが特徴。

現存している最も古い在銘刀は1501年のもので、1535年までにはその刀を大名たちが所有していたという記録が残されています。

村正は、徳川家に仇をなす妖刀としても知られている存在。「妖刀村正」という伝説を聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。村正は、家康の祖父と父が謀反で殺害されたとき、さらには謀反の疑いで死罪となった嫡男信康の介錯に使われたという伝説が残っています。こうした伝説から戯曲や文学などにも度々登場しているのです。

コンラート・ゾイゼンホーファー

中世ヨーロッパの鍛冶師。1504年に皇帝専属の鎧職人として任命され、その高い質から名工との呼び声が高かったそうです。

彼の作った鎧は、贈り物としても扱われていたため、今でもいくつかは各地で保管・展示されています。

ジョン・モーゼス・ブローニング

アメリカの銃器設計者で、今でも世界中で使用されている銃器機構を考案した人物。20世紀最大の銃器設計者だといわれています。

自動式拳銃や、新しい弾を装填するポンプアクションなどの発明は、現代の半自動式拳銃のほとんどのものに採用されているのです。功績の偉大さを感じますね。

まとめ

機械化が進み、大量生産品が増えていくとともに姿を消していく鍛冶工房ですが、手作り品には大量生産品には決してない魅力があります。

決して楽な道ではありませんが、伝統技術を生かしてさらに工夫を加え、新しいものを形作っていく鍛冶師もいます。 真っ赤に熱した鉄を金槌で叩いて自分の好きな形に作っていく、伝統工芸としても魅力にあふれる鍛冶師。これからの未来にも、その鍛冶の技術や知恵を残していってほしいですね。

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