近代日本を支えた伝統工芸品「桐生織」

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外国製品との価格差、和服離れにより衰退

「西の西陣 東の桐生」

佐藤祐一さん(@sericulturist)がシェアした投稿

「西の西陣 東の桐生」とは東西を代表する二つの織物産地を表したフレーズです。西の西陣とは国産織物の最高峰、京都西陣織を指し、当時の桐生織がそれと並ぶ大きな存在であったことがわかります。

昭和の中頃までは帯や着物はどこの家庭にもある身近な衣服でしたが、アジアからの安価品の流入に加え国民の和装離れも拍車をかけて日本の織物産業は衰退します。

現在ではすっかり洋装が一般的となり和装は私たちにとって特別な日に身につける衣服となっています。一部の和服愛好家や着物に興味を持つ若者もいるものの、ファッションの多様化はますます進み国内の織物産業が復活するのには困難な状況が続いています。

桐生織、栄枯盛衰を経て、世界への挑戦

和服を日常的に着る機会は減りましたが、人生の節目や冠婚葬祭では我々の民族衣装である着物を着る習慣は継続しています。また夏の浴衣は、若者のみならず外国人観光客にも人気があります。京都や浅草など大きな観光地ではレンタル浴衣に身を包み記念撮影する観光客の姿もよく見る光景です。

桐生織は経済産業省の伝統工芸品に指定されており、その歴史と伝統、高度な技術を後世に遺してゆこうという機運は高まってきています。

洋服地や生地の製品化だけでなく桐生市によるPR活動も活発になってきており、2015年には『織都1300年桐生記念企画』としてファッションショーやイベントを開催したり、翌2016年には産業観光誘致のためのDVDを多言語で製作するなど、海外向けの発信ツールも整いました。新たな時代での桐生織の挑戦は続いています。

以上、「桐生織」についてご紹介してまいりました。桐生織を聞いたことはあっても、西陣織との2本柱として近代日本を支えた織物であったことを知る人は多くないかもしれません。それと、そう遠くはない昔、北関東の地に華やかな“絹の都”があったとは。

機織りの音と花街の賑わいを思い描きながら、風情ある静かな町で伝統の織物に触れてみるのも良さそうです。

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