近代日本を支えた伝統工芸品「桐生織」

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“桐生は日本の機(はた)どころ”。群馬県に伝わる郷土かるた『上毛かるた』の読み札“き”に詠まれているのは桐生市の織物産業です。桐生市は群馬県の東部にある機業地で絹織物の産地として栄えた地域、都心から車で約2時間、山々に囲まれた市街地の東に桐生川、西には渡良瀬川が流れる山河の街です。


出典:柳原美紗子のアンテーヌ・アイ

桐生市の織物産業は「桐生織」と呼ばれ、その歴史は古く奈良時代に遡ります。日本の繊維産業の中心として栄え、現在でもその繁栄の象徴として風情ある街並みや史跡、歴史的建造物が多く保存されています。 “日本の機どころ”と言われたほど盛んだった「桐生織」の歴史とそれにまつわる逸話をご紹介いたします。

桐生織の発祥を伝える恋伝説

桐生織の起源は今から1300年前、奈良時代のあるロマンスから始まったと言われています。地域に伝わるむかしむかしの恋のお話をちょっと覗いてみましょう。

その昔、上野(こうずけ)の国(現:群馬県)から朝廷へ庭掃除係として課役(かえき)に出ていた“山田”という名の男子がいました。山田はそこで出逢った美しい官女、白滝姫に恋をします。農村出身の彼にとって姫は身分の違う高嶺の花ですが、自分の想いを伝えるためその恋心を切々と和歌に詠みました。

雲の上 目には見ゆれど 白瀧の

八重に思いと落ちぬ君かな

雲たにも懸らぬ峰の白瀧を

さのみな恋ひぞ 山田男子よ

雲井からついに落ちたる 白瀧を

な恋ひぞ 山田男子よ

一心に向けられたひたむきな想いが込められた歌の数々に、姫の心は次第に動いてゆきます。

そしてついに姫の心は射止められ、二人は男子の故郷である桐生に帰ることを許されます。桐生に移り住んだ白滝姫は農村の人々に養蚕と機織りの技術を伝え、それが桐生織の発祥と言われています。

とてもロマンティックな恋物語ですね。

関ケ原での逸話と2大織物都市への発展、世界の織物産地としての隆盛

桐生の地に伝えられた養蚕・織物産業は、戦国時代“関ヶ原の戦い”と深く関わったことにより発展します。東軍である徳川家康の軍旗に桐生絹が使われるこにとなり、反物にして数千という大量の織物が必要となりました。

献上までの十分な製作時間がありませんでしたが領民たちは総出で織り上げ、わずか1日程で納めたのです。結果、家康が大勝したこともあり桐生織物の名声はより高まります。

のちに京都西陣から高度な織機を導入、手織りから機械織りへの移行も経てその生産性と品質は飛躍的に向上し、桐生は京都に負けず劣らずの織物産業都市に発展してゆきます。明治時代に入ると政府の後押しもあり輸出も増加、世界屈指の産地となり全盛期を迎えます。

事業や商いにより富財を蓄える者が増えれば花街も賑わいます。あまり知られていませんが桐生花街は北関東一と言われ、昭和12年ごろには約230人もの芸者がいたとされます。その頃の京都先斗町の芸妓は約250人。西の都京都有数の花街に匹敵するほどだった東の都桐生、まさに栄華を極め光り輝いていた時代と言えます。

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