【晴れの願い込めた人形】てるてる坊主の由来や”正しい”作り方|左目は書かない?

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てるてる坊主とは

 てるてる坊主は日本の風習で、晴れてほしい日の前日に、翌日雨が降らないように祈願して軒下などに吊るす、主に子ども向けのおまじない人形です。 一般的に白い布や白い紙の一部を紐で縛り頭のような形状にして、それ以外の部分をスカートのように広げた人形として作られます。

てるてる坊主という呼び名の他に、照る照る法師、照る照る坊主、てるてる法師、照れ照れ坊主、てれてれ坊主などがあります。

他にも照れ照れ法師、てれてれ法師、日和坊主(ひよりぼうず)、てりてり坊主、てるてる、てり雛など地域によって似たような様々な呼称で呼ばれてきたようです。 また、てるてる坊主の歌もあり子どもから大人まで親しまれています。

てるてる坊主の意味


出典:写真AC

天候の回復祈願、雨が止むこと、晴れることを祈念するものですが、最近では逆さに吊るして降雨祈願をする場合もあります。雨雨坊主、降れ降れ坊主などと呼ばれるようです。

てるてる坊主の効果として雨が止む、晴れるは科学的に証明されてはいませんが、効果を実感できた人は6割ともいわれています。

てるてる坊主の歴史・由来


出典:写真AC

中国に伝わる詩に書かれている内容として、

「あるところに切り紙が得意な美しい娘がいたが、ある日その娘が住む町に大雨が降った。その雨は町を呑み込んでしまう程で、人々も娘も早く雨が上がることを祈るが、雨が止まない日が続いた。

ある時天から声が聞こえ、切り紙が得意である美しい娘を妃として差し出せば雨を止めよう、さもなくば町を水没させる、と言ってきた。町を救うため娘は天に召され妃となることを選んだ。すると雨は止み、雲を箒で掃いたように空は晴れた」とあります。

町の人々は犠牲となった娘を偲び、雨が続くと箒(ほうき)を持った女の子を模した切り紙の人形を吊るすようになったとのことです。

この人形を掃晴娘(そうせいじょう。サオチンニャン)といい、平安時代に伝わったとされる説もありますが、江戸時代に初めて英語で書かれた和英辞典にTERI-TERI-BŌZUとあり「掃晴娘」と書き添えられていたとそうです。

また、当時既に折り紙のように折って作られる人形による晴れ乞いを、同じ江戸時代の儒学者に中国の「掃晴娘」と似ていると指摘されていたことなど、掃晴娘関連の記述が多いことから、中国から伝えられた叢晴娘の話が江戸時代の日本では晴天を祈るおまじない、風習として受け入れられ定着していたのでしょう。

てるてる坊主の由来としては、実はもう1つ伝わる話があります。

「昔、雨が長く降り続いて困っていたところに、経を唱え祈祷をすると必ず晴れると有名な坊さんがやってきて、殿様の前で経を唱え晴れるよう祈祷した。

ところがその日も次の日も雨は降り一向に止む気配がなく、怒った殿様がその坊さんの首を刎ねてしまった。そしてその坊さんの首を白い布でくるみ吊るしたところ、雨が上がり晴れ間が広がった」

恐ろしい話ですが、想像してみると確かに現在のてるてる坊主の姿形に似ています。 昔からお坊さんは雨乞いなどの天候に関する祈祷をしていたのと、てるてる坊主の頭の部分が坊主頭を連想するといったところから、日本では娘ではなく、お坊さんになったのではないか、ともいわれています。

とはいえ、中国からの文化が日本でアレンジされて晴れ乞いの風習として根付いた、と考えて良さそうです。 そして日本ではてるてる坊主は神仏の職にあった人が祈祷する際に用いられたりもしたようです。

ちなみに中国では20世紀初頭までは一般的な習俗だったのが、現在は知らない人が多く、日本のてるてる坊主の知名度の方が上といわれています。

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