東北を代表するお祭りの一つにあげられる、新庄まつりは例年8月24・25・26日の3日間で催されます。
24日の夕刻から始まる「宴まつり」で新庄まつりの幕が開けられると、25日の「本祭り」そして26日の「後まつり」と続き、興奮と熱気に包まれながら新庄まつりはフィナーレを迎えます。
新庄まつりの3日間は、新庄市内の学校や企業は休みとなることを見てもわかるように、新庄まつりは地域にとって非常に重要なお祭りといえます。
また、新庄まつりは山車行事を含む日本の山・鉾・屋台行事が平成28年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。これは、山形県内で唯一のユネスコ無形文化遺産となっています。
アクセス
出典:写真AC
新庄まつりへのアクセスは、東京方面から公共交通機関を利用する場合は、JR東日本山形新幹線の新庄駅が最寄り駅となります。車の場合は、東北自動車道で村田JCTから山形自動車道に乗り入れ、さらに東根JCTで国道13号を進むとアクセスすることができます。また、山形空港もありますので、飛行機を利用して訪れることも可能です。
新庄まつりの歴史
新庄まつりの歴史は古く、今から約260年ほど前である宝暦5年(1755年)に大凶作で飢饉に見舞われ多くの餓死者がでたことで、多くの領民が失望のどん底にいました。
そうした姿に心を痛めた当時藩主である戸沢正諶が翌年、人々に活気と希望を取り戻してもらい、また豊作を祈願するために、城内天満宮の新祭を行ったのが始まりとされています。
最初の祭りは、天満宮の神輿が巡行し、一方、町方にはさまざまな趣向を施した飾り物を出させ、酒や賭け事を容認しました。領民はみな飾り物を作ったりして祭りを楽しみ、城下には出店などが出て大いに盛り上がったそうです。 新庄まつりが始まって20年たった頃には、歌舞伎の名場面を飾った山車など、14台もの山車が出ていたということです。
明治時代の頃は、神輿行列を中心に山車や神輿が、大正の時代も明治時代に加えて、仮装行列や花相撲も行われていました。 昭和に入り、太平洋戦争中に一時中断したものの、戦後の昭和21年(1946年)には沖の町が作った「羽衣」の山車たった一台で復活をしました。
そして、新庄市が誕生した昭和24年(1949年)には、16台もの山車が出たり仮装行列が行われました。そして、平成21年(2009年)3月11日に「新庄まつりの山車行事」が国重要無形民俗文化財に指定されることとなり、2016年にはユネスコの無形文化遺産に登録されるまでとなりました。