「朝三暮四(ちょうさんぼし)」の意味と使い方|中国の故事が由来になった言葉

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「朝三暮四」は「ちょうさんぼし」と読みます。「政府のバラマキ政策は結局のところ朝三暮四に過ぎない」などという具合に使いますが、この四字熟語の意味はお分かりでしょうか?

「うちの社長は朝言ったことが夕方には変わっている」というような意味と思った方もいるかもしれませんが、それは「朝令暮改」という、違う故事成語です。

朝三暮四の意味


出典:写真AC

朝三暮四の意味ですが、目先の違いにばかり着目し、全体が見えないことを皮肉るものです。違いが判らないのにああでもない、こうでもないと騒ぐ愚かな民を笑う意味であり、戒める言葉でもあります。

先に使った用例のように、愚かな民を騙す側を批判するためにも使えます。

朝三暮四の由来 ・言葉の背景

朝三暮四は、中国の故事にちなんだ「故事成語」のひとつです。こんな寓話から来ています。たくさんの猿を飼っている人が、餌を減らさなくてはならなくなりました。「どんぐりの実を、朝三つ、夕四つ与える」と猿たちは怒りました。そこで今度は「朝四つ、夕三つ与える」と伝えたところ、猿たちは喜びました。

このように、実質的には同じなのにも関わらず、目先の違いで喜んだり怒ったりする愚かな様を笑う意味の熟語です。あるいは、猿たちを巧妙に騙した逸話でもあり、この立場からすると、口先でもって人を騙すことという意味にもなります。この寓話は「荘子」と「列子」に取り上げられています。

荘子ではもっぱら無知により愚かな感情の発露を見せる側の、列子では騙す側の逸話として取り上げられています。古来より、両方の側に使える、多義的な熟語であったようです。根底には、老荘思想の、儒家に対する皮肉として用いられてきた背景があります。

どんな場面で使えるのか


出典:写真AC

朝三暮四の故事は、餌を与える男を政治家に、愚かな猿たちを群衆に例えたものです。現代でも、この構造を踏まえて使われる、熟語というよりも格言です。

用例としては、必然的に政治絡みが多くなります。「現金支給による手当を増やし、一方で増税をするのは朝三暮四に過ぎない」「豊洲と築地、両方を活かそうとするのは朝三暮四に過ぎない」。使う人の視点に応じて用いれます。

朝三暮四の類義語・対義語

朝三暮四の類義語

としてはなにがあるでしょうか。この故事成語は、騙す側と、騙される、あるいは無知によって愚かに行動する側と、両方の立場で使えますので、どちらに着目するかにより類義語も変わってきます。最近はあまり使いませんが、「三百代言(さんびゃくだいげん)」などという言葉があります。

口先で人をたぶらかすという意味で、かつて偽弁護士に対する罵りの言葉としても使われました。それから、愚かな民衆の立場からの類義語としては、「木を見て森を見ず」という格言の意味がよく似ています。細かいところばかりに着目し、全体を見ないという意味です。

朝三暮四の対義語

としては、全体を見通す言葉である「大局観」というものがあります。囲碁や将棋の用語で、細かいことではなく全体の状況を判断することを言います。政治の世界においては、何十年も経ってから、実は妥当な施策であったことが明らかになることがよくありますが、その際には、為政者に大局観があったということです。

同じく朝三暮四の対義の意味として、「泰然自若」という四字熟語があります。落ち着いて動じないことを言います。どんな施策であっても、必ず異議を唱える人はいるわけですから、為政者としても猿を騙すような態度で事に当たるのではなく、常に泰然自若でありたいものです。

朝三暮四の意味から学べること


出典:写真AC

朝三暮四という言葉は、老荘思想から出ているだけあって、これ自体融通無碍な性質があります。民衆を騙す為政者を批判する際にも使えますし、ポピュリズムに走りがちで、目先の利益にしか関心のない民衆を批判する言葉にもなります。

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