「走馬灯(そうまとう)」意味・由来・例文|体験できる確率や原理・英語も紹介

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「記憶が走馬灯のように蘇ってきた」という表現を知っていますか?

特にいまわの際(死の直前・死ぬ間際)や死を覚悟した瞬間などに、使われる表現になります。

実際に走馬灯とはなんだろうと思う人も多いはずです。走馬灯の意味を知ることで、言葉の意味をより深く理解することができます。また、誤用を避けることもできるようになります。

今回は「走馬灯」という言葉について意味や由来など、詳しく紹介していこうと思います。記事後半では、走馬灯を使った例文・走馬灯の原理・走馬灯を体験できる確率・英語での説明も紹介しています。

走馬灯の意味

走馬灯は、主に死に際や感情が揺さぶられた際に、様々な記憶が次々と蘇ることを意味します。

過去の出来事をありありと思い出すことや、時間の流れを無視して大量の記憶が蘇るケースが多いのも特徴です。意識的に思い出そうとして思い出すものではなく、条件が重なった結果として記憶が蘇る場合に使われます。

記憶に流れがあり、生まれてから死ぬまでの一生の記憶が一瞬で蘇るケースや、家族との思い出など印象に残るエピソードが思い浮かぶ場合が多いといわれています。実際に体験することが難しいため、小説などのフィクション上の表現か、治療などで蘇生した人の体験談が主になっています。

走馬灯の由来


出典:写真AC

走馬灯はもともと江戸時代中期に生まれた遊び道具の一つでした。

筒状の行灯の中に影絵の馬を仕込み、筒の上の風車とつなげます。ろうそくに火をともすと温められた空気が風車に当たり、回転することで影絵の馬も回りだします。ろうそくの光で影絵の馬の影は部屋全体に広がり、幻想的な光景を楽しむことができるのです。

夏の夜を楽しむための遊びの一つとして誕生したのが走馬灯で、様々なバリエーションが生まれました。影絵の馬は途切れることなく走り続けるため、記憶が次々と蘇るさまに例えられるようになっていったのです。現代では電気式の走馬灯が主流になっていて、お盆やお葬式に仏前に飾られることが多くなっています。

極楽浄土をイメージさせるカラフルなものが多く、走馬灯といわれてもわからない人が多いのが特徴です。

走馬灯を使う場面


出典:写真AC

「記憶が走馬灯のように蘇ってきた」は、自分が意識せず、途切れることなく記憶が蘇ることを意味しています。走馬灯と単純に表現された場合は、死に際や命の危機を覚えたシーンに使われることが多く、病気で死期を悟った人間に訪れるといわれています。

由来から読み解くように、走馬灯は仕組みを作れば自動的に回るものであり、「走馬灯が走る」などの表現は誤用になります。また、死に瀕した人間だけでなく、最期を看取る側に起こるケースがあるともいわれています。

「彼と過ごした青春の日々が走馬灯のように蘇った」など、夫婦や恋人関係の深さを示すものとして使われるケースがあるのも特徴です。

走馬灯の例文

情緒ある走馬灯の例文を紹介します。

1. 彼が突然倒れたその瞬間、彼の人生が走馬灯のように蘇ってきて、鮮やかな色彩と共に頭を駆け巡った。
2. 別れの瞬間、彼女と過ごした日々が走馬灯のように心を駆け巡り、切ない気持ちで胸が一杯になった。
3. 父の遺品を手にしたとき、共に過ごした日々が走馬灯のように頭の中を巡り、懐かしさと共に涙がこぼれた。
4. 突然の訃報に接したとき、彼との過去が走馬灯のように思い出され、心に深い悲しみが広がった。
5. 久しぶりに故郷を訪れたとき、子供の頃の記憶が走馬灯のように蘇り、温かな感情が心を包んだ。
6. 彼女との最後の別れを経て、彼女との思い出が走馬灯のように脳裏を巡り、深い哀しみに心が揺さぶられた。
7. 朝目が覚めたとき、夢の中で過去の恋人と過ごした日々が走馬灯のように思い出され、淡い憧れと共に一日が始まった。
8. 子供たちが巣立っていったその晩、彼らと過ごした日々が走馬灯のように思い出され、愛おしさと寂しさが交差した。
9. 古い写真アルバムを開いたとき、学生時代の思い出が走馬灯のように頭の中を巡り、若さと切なさが胸を突いた。
10. 彼が長い病床で過ごす中、私たちの幸せだった日々が走馬灯のように思い出され、深い感謝と哀しみが交錯した。

なぜ走馬灯を見るのか

死ぬ直前に見ると言われる「走馬灯」。実際に臨死体験をした人は、走馬灯を経験をされた人が多くいるのも事実です。

では、なぜ人は走馬灯を見るのでしょうか。

これは諸説あるのですが、生物が死の危険を察知すると、アドレナリンが多量に分泌され、痛みを感じないなど、様々な変化が身体に現れることが原因とも言われています。

そのアドレナリンの多量分泌が人間の脳に今までにない変化を及ぼし、走馬灯と言われる過去の記憶を見せているのです。

諸説ありますが、詳しく解説していこうと思います。

走馬灯はどのくらいの確率で体験できるのか

「走馬灯」が見られるとされる状況は、通常、非常にストレスフルな状況や生命の危機に直面したとき、特に「死に直面した経験」や「臨死体験」に関連して報告されます。しかしながら、全ての人がこれらの状況で「走馬灯」を経験するわけではありません。

科学的な研究はまだ限られていますが、いくつかの研究では、臨死体験を持つ人々の中で「走馬灯」のような記憶の再生を報告する人々の割合が調査されています。

たとえば、Pim van Lommelらによる2001年の研究「Near-Death Experience in Survivors of Cardiac Arrest: A Prospective Study in the Netherlands」では、心停止から生還した患者の間での臨死体験を調査しました。その中で、患者の18%が臨死体験を報告しましたが、その中でも特に「過去の出来事や自身の人生が一瞬にして思い出される」経験を報告した人の割合はさらに少なかったとされています。

しかし、このような状況は非常に個々の体験に依存するため、具体的な確率やデータを決定することは難しいです。さらに、この種の経験は文化的な背景や個人の信念にも大きく影響されると考えられています。したがって、その頻度や発生率についての一般的な統計は提供することが難しいとされています。

参考文献:van Lommel, P., van Wees, R., Meyers, V., & Elfferich, I. (2001). Near-Death Experience in Survivors of Cardiac Arrest: A Prospective Study in the Netherlands. The Lancet, 358(9298), 2039–2045. doi:10.1016/s0140-6736(01)07100-8

走馬灯の体験談わかる書籍

「走馬灯」や人生が一瞬にして頭を駆け巡る体験は、多くの場合、個人の体験談や口述歴史、あるいは臨死体験(走馬灯に近い体験)を扱った科学的な研究から引用されます。

具体的な体験談については、臨死体験に関する文献や、それについて語られている多くの書籍や記事を参照することが走馬灯の体験談などを理解するのに役立つでしょう。いくつかの書籍やレポートを紹介します。

⑴「Life After Life」著者Raymond Moody

Raymond Moodyの「Life After Life」は、人間の死後の存在について探求する先駆的な作品です。Moody医師は数多くの臨死体験(走馬灯に近い体験)を詳細に研究し、その中で一貫したパターンを発見しました。

白い光、感情の平和、そして「走馬灯」のように一生の出来事が思い出されるといった体験です。彼の調査は科学的かつ思慮深く進められ、一方で感情的な側面も充分に扱われています。

この書籍は、人間の死とその後の存在について新たな視点を提供し、読者に自身の人生と死について深く考える機会を与えます。一部の人々にとっては慰めとなり、また他の人々にとっては議論の余地を残す作品です。

 

⑵「Consciousness Beyond Life」著者Pim van Lommel

Pim van Lommelの「Consciousness Beyond Life」は、医学的な視点から臨死体験(走馬灯に近い体験)を詳細に分析し、それが意識と物質、生と死について私たちが持つ理解にどのように影響するかを探求する重要な作品です。

心臓停止患者の間で行った大規模な前向き研究に基づいて、Lommelは死後の意識の可能性を提示し、それが時間と空間を超えるかもしれないと説明します。彼は科学的な証拠と個人の体験談を巧みに組み合わせ、物理学、哲学、宗教といった概念を用いて、意識が脳を超えて存在する可能性を説明します。

この書籍は科学とスピリチュアルを橋渡しし、大胆な仮説と深遠な思索を提供します。一部の読者にとっては挑戦的な内容かもしれませんが、人間の意識と存在について新たな視点を提供します。

走馬灯の原理とは

「走馬灯」とは、一人の人生やその瞬間の出来事が高速で頭を駆け巡る感覚を指す言葉です。科学的な視点からは、この現象や原理はまだ完全に理解されていませんが、一部の研究者たちは脳の特定の部分が活性化することで生じると考えています。

死に直面したときや強いストレスを経験したときなど、極限状態にある人々が「走馬灯」を経験することが報告されています。これらの状況では、脳は通常とは異なる方法で情報を処理する可能性があります。特に、記憶に関連する脳の部分である海馬が重要な役割を果たすと考えられています。

海馬は新たな記憶を形成し、既存の記憶を呼び起こす役割を果たしています。一部の科学者は、極限状態において海馬が過剰に活性化し、記憶の断片が高速で呼び起こされると考えています。しかし、この理論はまだ検証が必要で、全ての科学者が同意しているわけではありません。

また、一部の研究では、脳内での酸素欠乏が「走馬灯」の原因である可能性も指摘されています。例えば、モンシンジュールらの研究(2017)では、酸素欠乏状態が脳の特定の部分を過剰に刺激し、過去の記憶が蘇ると提唱しています。

しかし、この現象の正確な原理やメカニズムはまだ完全には解明されていません。より多くの研究と理解が必要です。

参考文献:Monsel, A., Malissin, I., Baud, F., & Bresson, D. (2017). Near-death experiences: a biosociological approach. Med Hypotheses, 103, 105-108. doi: 10.1016/j.mehy.2017.04.021.

走馬灯の類義語

走馬灯の類義語としては、「回り灯籠」「影灯篭」。近い意味としては、「フラッシュバック」「過去の回想」「人生の再演」「思い出のハイライト」などが類義語として挙げられるでしょう。

走馬灯の類義語を英語では、「Life review」「Flashback」「Memory recall」「Memory flood」「Mental rewind」と表現するのが最適でしょう。

走馬灯を英語で説明

In English:
The term “Sōmatō” or “Running Horse Lamp” is a Japanese idiom used to describe a phenomenon where a person’s life events rapidly flash before their eyes, typically in times of extreme danger or near-death experiences. It’s as if their entire life is being replayed in fast-forward mode. This phenomenon is often reported during near-death experiences and is generally considered to be a form of autobiographical memory recall. While the exact mechanisms underlying this phenomenon remain unclear, it represents a fascinating area of exploration in neuroscience and psychology.

日本語訳:
「走馬灯」または「Sōmatō」は、日本の慣用句で、極度の危険や臨死体験の時に、人の生涯の出来事が急速に目の前に現れる現象を表す言葉です。まるで自分の一生が早送りで再生されるかのような感覚です。この現象は、臨死体験中にしばしば報告され、一般的には自己の生涯の記憶が回想される形式と考えられています。この現象がどのように起こるのか、その詳細なメカニズムはまだ明らかになっていませんが、神経科学や心理学の探求の中で魅力的な領域を表しています。

 

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

走馬灯の意味から学べること


出典:写真AC

ここまで走馬灯という言葉について詳しく紹介してきました。

「走馬灯のように」という表現は、江戸時代の遊び道具から生まれたものでした。夏の夜におぼろげに浮かび、途切れることなく回る姿から、とめどなく記憶が蘇る表現に繋がっていったのだと考えられます。実際に体験することが難しいものの言葉として定着しているのも特徴で、人の記憶の不思議さや想像力を書き立てる言葉にもなっています。

実用することは難しいですが、「走馬灯のように」という言葉の裏に込められている気持ちを読み取ることは重要です。人の人生や生き様に深く根付いた感覚であるケースが含まれているのです。誤用されることが多い言葉でもあるため、使い方に気をつけたい言葉でもあります。

日本人なら知っておきたい国語の知識「国語」の記事一覧

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

関連するキーワードから探す