意外と知らないだるまの歴史と始まり。年始の風物詩だるま市とは?

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群馬の伝統工芸品「だるま」

日本列島のおおよそ中心部に位置する群馬県。都心からは新幹線で約50分でアクセス便利な高崎市に行くことができます。近年は首都圏で働く方々のベッドタウンとしての人気も高く、また豊かな自然に囲まれているため登山や名湯を目的に訪れる旅行者も多く、映画や音楽など文化活動の活発な地域としても注目されています。

そんな群馬県で有名なものはたくさんありますが、中でも全国的な知名度のあるものと言えば「温泉」に次いで「だるま」ではないでしょうか。画像は高崎駅のだるまの壁画です。

日本一の生産量を誇る高崎だるま

形は丸くてコロンとかわいらしいですが、鮮やかな赤と金文字で彩られた姿に威厳のある表情。家庭内やオフィス、テレビの選挙映像などでも目にしたことがありますね。何気なく目にするだるまさん、今回は群馬県の「高崎だるま」についてその由来や魅力をご紹介いたします。

昔ながらの子供の遊び“にらめっこ”の唄や、鬼ごっこに似た遊び“だるまさんが転んだ”、玩具の“だるま落とし”などからもわかるように「だるま」は私たち日本人にとって身近で親しみのある存在だったことがわかります。

そんな「だるま」は現在も宮城、東京、静岡、愛媛、大分など全国各地で生産されており、地域ごとにその顔や姿形はさまざまです。中でも全国のだるまの約8割を生産しているのが群馬県。

 選挙で当選すると筆で黒眼を書き入れる選挙達磨のほとんどはこの「高崎だるま」だそうで、毎年1月に開催される“だるま市”は県内外からの人々で賑わう新年の一大イベントとなっています。

人々の願いから始まった達磨づくり

現在では日本国内に限らず海外観光客のお土産品として海を渡るようにもなった「高崎だるま」ですが、いつごろから作られているのでしょうか。

今から200年ほど前、天明の大飢饉や災害により国全体が非常に貧しく辛い時代がありました。人々は飢えや流行り病に苦しみ、その頃に病気除けの願掛けとして、また農閑期の農家の副業として少しでも安定収入につながるようにと『少林山達磨寺』の東獄和尚が農民達にその作り方を伝授し始まったと言われています。

そうした当時の時代背景もあり赤い張り子の置物は評判となり、“縁起もの”“福達磨”として生産量も増えてゆきました。昔から邪気を払うと言われた赤色で塗られただるまは人々の祈りや願いを一身に受け、作られ続けててきたのですね。

新しいもうひとつのだるま市がスタート

今まで「だるま市」と言えば、

例年1月6日・7日『少林山達磨寺』(群馬県高崎市)

で開催されてきた日本最大級と名高い達磨イベント“七草大祭だるま市”が有名で新年の風物詩として例年ニュースでも紹介されてきました。

それに加えて2017年からは高崎市観光協会と県達磨製造協同組合により

1月1日・2日にJR高崎駅西口駅前通り

で新しい『高崎だるま市』を開催!第1回の今年は高崎名物やグルメ、和楽器演奏や舞踊などのイベント満載でお正月気分を演出、多くの来場者で賑わいました。北関東最大のターミナル駅でもあるJR高崎駅前というアクセスの良さもあり、今後ますます来場者は増えそうです。

しかしながら、スケジュールの合う方にはぜひ歴史のある『少林山七草大祭だるま市』で達磨寺の荘厳な雰囲気と風格を感じながらお楽しみいただくことをおススメします。こちらは昼夜開催され、夜は境内へ続く階段に灯りが灯され幻想的な雰囲気を醸し出しています。

毎年訪れる方の中には昨年のだるまをお返しし(後日お焚き上げあり)、感謝を込めて参拝、また新たな気持ちで達磨を買い求める方も多くいるのです。

来年の正月は、だるま市で願掛け

ということで「高崎だるま」を知るにはぜひだるま市に行ってみてはいかがでしょうか?お正月、駅前の新だるま市でにぎやかに楽しむも良し、真冬の夜の達磨寺で昔ながらのだるま市(昼夜開催)を堪能するのもまた良しです。

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