近年、あまり見かけなくなった爪楊枝。爪楊枝の主な生産地、大阪府河内長野市では、その文化を守りつつ、時代に即した新しい、口腔ケア用品としての爪楊枝の開発が進められています。爪楊枝の歴史を振り返りながら、次々と新しい製品開発に挑む爪楊枝の老舗「広栄社」のご紹介をします。
爪楊枝の歴史
三角爪楊枝のようなものは、実は10万年前、まだ人間が原始人(ネアンデルタール人)だった時代から使われていたそうです。発掘された歯の化石に縦の筋が入っていたので、木の枝で歯を磨いていたと考えられています。現代でもアフリカやインドでは、くるみの木などで作られた歯木と呼ばれるものが売られていて、エチオピアでは男性と女性、それぞれ違う形のものが使われているそうです。歯木は歯ブラシの代わりに使われるのですが、木で磨くのではなく、木を噛んで口腔ケアをするそうです。
楊枝は仏教お釈迦様とともに日本へ
日本に楊枝が伝わってきたのは奈良時代のことで、大陸から仏教が伝来するのに伴い、日本へ入ってきました。最初は、お釈迦様が弟子たちに木で歯を磨くことを教え、その後、広く僧侶の間に広まったと考えられています。念珠と同じように楊枝は、仏教の僧侶が身につけておくべきものに入っているそうです。やがて、僧侶と交流することが多かった貴族にも楊枝文化が広まり、歯や口腔の衛生について書かれた当時の文献が多数見つかっています。当時は、朝、楊枝を使って歯や歯茎の手入れをして、口をすすぐことが作法のひとつとして伝えられていたそうです。この頃使われていたのは、まだ先が尖っていない房楊枝と言われるものでした。
楊枝から爪楊枝に
現代の爪楊枝により近い形のものができてきたのは、平安時代末期のこと。室町時代の詩歌の中には「楊枝」という言葉もたくさん出てきます。
江戸時代になると、片側が房状、反対側が尖っていて、さらに柄の部分で舌の掃除ができる楊枝も使われていたそうです。
やがて、先端が房状になった房楊枝は、アメリカから入ってきた歯ブラシへと世代交代します。明治5年頃には、日本で始めて歯ブラシが発売されました。つまり、歯ブラシの原型が房楊枝だったのです。
歯ブラシから歯間ブラシへ
先端が尖った「爪楊枝」は江戸時代後期から庶民の間に広まり、明治時代中頃、大阪府河内長野市で生産されるようになりました。そして、房楊枝から歯ブラシに変わっていった流れとは別に、歯に詰まった食べ物を取り除くために使われるようになったのです。現代ではデンタルピックとして口腔ケ用の道具としての役割が求められ、先端が三角形になっようじや糸つきようじ、さらに進化した歯間ブラシへと形を変遷しています。
口腔ケアの機能も果たす爪楊枝「ドクターピック」
出典:株式会社広栄社
河内長野市にある爪楊枝メーカー「広栄社(こうえいしゃ)」では、国産爪楊枝の生産量日本一を誇っているのですが、龍谷大学から技術指導を受けて開発した「ドクターピック」など現代人のニーズにフィットした新しい製品を開発しています。
「ドクターピック」は、歯間ブラシと爪楊枝が合体した製品です。先端が三角形になっていて、三角楊枝と呼ばれています。三角楊枝は、三角形の2辺を使って歯垢を取り除くことができる優れもので、諸外国では普及しているそうです。従来の爪楊枝は丸くカットしてありますが、歯と歯の間は三角形なので、三角楊枝のほうがきれいに歯間清掃することができます。また、底辺で歯茎をマッサージする効果も得られるので、血流が増加し、歯周病の予防にも役立つそうです。
このドクターピックは、日本のホテルや飲食店からも引き合いが増えてきているのですが、スイスの代理店からも、ヨーロッパでドクターピックを販売したいという要望があったそうです。
広栄社では、日本歯科医師会が推進している80歳になった時に自分の歯を20本残そうという8020運動に貢献するという理念を掲げてデンタルケアのための新しい製品開発に取り組んでいます。単なる食べかすを取り除く道具から進化して、歯や歯茎の健康を守る道具になった爪楊枝。歴史と伝統、そして最新の理論に基づいた製品をお使いになってみてはいかがでしょうか。