桜井漆器は、愛媛県今治市の伝統工芸品です。250年の歴史がある漆器ですが、第二次世界大戦後は衰退し、現在はわずかながら伝統を受け継ぎ発展させようと模索が続いています。
今回は桜井漆器の展示販売を行い、伝統工芸の持続発展を行っている今治市の「桜井漆器会館」を訪ね、美しい漆器の数々に魅了されました。
今治の伝統工芸「桜井漆器」の歴史
桜井漆器のある愛媛県の今治は、古くから海上交通の要所として栄えていました。しかし、漆がとれる土地柄でもなく、古来から漆器づくりが行われる技術があったわけではありません。
桜井地方は、これといった特産品もない貧しい土地でしたが、江戸時代後期、天領となったことがきっかけで、年貢米を船で運ぶようになり桜井港が発展しました。
大阪商人と取引をし始めた桜井の廻船業者は、アイデアを得て大阪へ船を出した帰りに紀州黒江(和歌山県海南市)に船で寄り、漆器を仕入れて帰ってきたそうです。
漆器は非常に歓迎されてよく売れたので気を良くして取引を拡大しました。そして漆器を積んで九州へ行き、そこで漆器を売って、唐津や伊万里で陶器を仕入れて関西方面にいくという行商を確立しました。
膳や椀という漆器は陶器に比べて軽くて高価なので儲けも多くなりました。やがて漆器の行商が主になり、船は江戸時代から大正期にかけて大活躍、「椀舟」と呼ばれました。
ちなみに桜井地方の椀舟の業者は、農村を回って漆器を売る際に、秋の収穫後に集金する掛売りを初め、それが月賦払いへと移行し、やがて「月賦百貨店」になるという、日本でのクレジット商法の起源となったのでした。
そのように当初は、紀州の黒江の漆器を仕入れていましたが、桜井でも作れるのではないか、利益も大きいのではないかと、黒江を真似て桜井で漆器製造を始めたのが桜井漆器の起源です。
1830年頃に遡ります。月原久四郎氏が、重箱の四隅を櫛の歯のようにして接着する方法を発明し、桜井漆器の名は全国に知れ渡るようになりました。
明治期には、黒江や輪島、山中から職人を招き、いろいろな地方の技術を融合させた漆器ができてきました。大正期には300人を越す職人がおり、安価で良質な漆器として人気がありました。しかし陸上交通が発達すると桜井の椀舟は廃れていったのでした。
今治にある桜井漆器会館
桜井漆器会館は、伝統工芸の誇りを持続し発展させることを目的として開館しました。
椀、皿、箸などの日用品から、文庫やパネルなどの装飾品まで、幅広い桜井漆器の作品を集めて展示販売しています。手の込んだ細工の漆器を見ていると、その美しさに感動してうっとりします。
中には大変高価な漆器もありますが、桜井漆器は比較的お求めやすい価格のものもあります。
漆器には抗菌作用があり、大腸菌やMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)は4時間後に半減、24時間後に死滅するという実験結果があります。漆の耐久性も高く、天然素材100%ですから安全性の高い自然の抗菌食器なのです。特に弁当箱や重箱に漆が使われるのは先人の知恵なのですね。
店内にはお手入れの仕方の解説ビデオが流れています。お手入れが面倒だと漆器を敬遠する方もいますがやってみると意外に簡単です。食洗機や食器乾燥機は使えませんが、食器用洗剤をつけてスポンジで洗えばOK。しまい込まずにどんどん使った方がいいのです。
漆器制作の工程
桜井漆器会館では、桜井漆器の工程を自由に見学することができます。
漆器は以下の過程で作られます。
下地・研ぎ→上塗り→蒔絵→沈金
職人が手間をかけて、下地をつくったり何度も漆を塗り重ねて作っていくことがわかります。
伝統工芸士の方が蒔絵を施している様子が見学できました。小さい筆で細かい模様を描いています。
桜井漆器会館では蒔絵体験もあり、グラスや小皿などに好きな絵柄を描いてオリジナルの漆器を作ることができます。
愛媛のすごモノ「花クリスタル」に注目!
桜井漆器の「花クリスタルNo.17」は、愛媛県の「すごモノ」に選ばれました。また経済産業省より、日本が誇るべきすぐれた地方産品500選(The Wonder 500)にも認定されています。
花クリスタルは、これまで不可能だといわれていたガラス表面への漆加工を可能にした画期的な技術。クリスタルガラスと漆の光沢が調和しています。現代のライフスタイルに合い、引き出物やおみやげとして人気があります。
ここまで愛媛県今治市の伝統工芸である桜井漆器についてご紹介していきました。漆器は「しっかりとくっついて離れない」という漆の性質から、末永いお付き合いをしたいという意味でも贈物としても最適です。
自分へのご褒美やプレゼント、様々なシーンで漆器を選んでみてはいかがでしょうか。
文・写真/あかつき