大阪で100年前から作られる「なにわの伝統野菜」の歴史

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近年、江戸東京野菜など、いまは都心部になっている地域で昔から作られていた野菜が注目を集めています。大阪でも「なにわの伝統野菜」の復活を目指し、大阪府と市町村、農業者が一体となって種子や苗の保存や育成に努めています。

復活を目指す大阪なにわの伝統野菜とは

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その昔、「天下の台所」とも言われた大阪の町。食文化も栄えたため、大阪ならではの野菜が多数栽培されていました。しかし、いつしか農地が少なくなり住宅が建ち並び、和食から洋食へと人々の嗜好が変化してきたこともあったため、いつしかそうした歴史ある野菜は姿を消してしまったのです。

そこで、府や大阪の料理人は古くから伝わる野菜について、

  1. 100年以上前から栽培されている野菜
  2. 苗や種子の来歴(外国産などに由来していない)が明確にされている品種
  3. 苗や種子が入手可能なもの
  4. 大阪府内で生産されていること

上記4つを条件として、「なにわの伝統野菜」を復活させる取り組みをしているのです。

現在、「なにわの伝統野菜」に指定されているのは全部で17品目あり、そのうち高山牛蒡、高山真菜、服部越瓜(はっとりしろうり)、吹田慈姑(すいたくわい)や三島独活(みしまうど)など6品目は大阪北部で栽培されています。

これらの野菜は、まだ広く市販されるには至っていないものが多いのですが、自治体が主催する朝市やレストラン用の野菜を専門に販売している八百屋などで販売されています。

なにわの伝統野菜「鳥飼なす」

「鳥飼なす」は、天保7年(1836年)に出版された『新改正摂津国名所旧跡細見大絵図』の「名物名産略記」に記載されていることから、既に江戸時代には食べられていたと考えられています。

大正から昭和初期にかけて、全盛期には60戸もの農家が栽培していました。形は丸みをおびてころんとしたボール状、京都の特産品である賀茂茄子にも似ています。皮は柔らかで、果肉はしっとりときめ細やか。甘みがあり、煮崩れしにくいため、田楽や煮物や焼き物に適しています。

栽培している地域は大阪北部の摂津市で、摂津市農業振興会が種子と栽培技術を守るため、各種の取り組みをしています。そのまま販売するだけでなく漬け物に加工したり、地域の学校給食にも用いたりして子供たちの食育にも一役買っているのです。

また、市内の全小学校の学校農園でも栽培されており、市民も接木苗を購入することができます。

なにわの伝統野菜「服部しろうり」

服部しろうりは、大阪北部の高槻市、塚脇地区で栽培されてきました。近隣の富田は酒どころでもあったため酒粕が豊富にあり、そのため服部しろうりは富田漬けという粕漬けにされるのが一般的でした。

江戸時代にこの地を訪れた徳川家康が、この富田漬けをたいそう気に入ったため、やがて幕府献上品にまでなったと伝えられています。天保14年(1843年)の服部村明細帳には、服部しろうりは富田漬け専用に使われたと記されています。

果実は、淡い緑色をしていて、白い縞模様が薄く入っています。大きなものは約40cmもの長さになり、重さは800g程度まで成長します。頭のほうが少し細くなっていて、くびれがあるのが他の瓜とは異なるところです。食感はシャキシャキしていて、まさに漬け物にするのにぴったりの野菜です。

復活を目指すなにわの伝統野菜

平成17年になにわの伝統野菜に選ばれ、10名の農業者が「服部しろうり生産部会」を結成。漬け物にするのに適した、加工用の服部しろうりの品質向上に努めています。

このまま放置しておいては、いつかなくなってしまう伝統野菜。再び光を浴びるようになって、食育の分野にも使われています。農業の後継者が減少するなかでのこの取組みは大変な苦労があるのですが、「なにわの伝統野菜」が安定的に生産され、大阪の食卓を彩る日が来ることを期待します。

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