1834年に江戸大伝馬町のビードロ屋の加賀屋久兵衛が金剛砂でガラスに細工を施したのが江戸切子の始まりです。その後、明治時代に英国人エマニエル・ホープトマン氏を招聘し、10名ほどの日本人が指導を受け、現代の江戸切子の文化が完成しました。
今回は、江戸切子と薩摩切子の違いや江戸切子の「華硝」と「カガミグラス」という2大ブランドをご紹介します。
江戸切子2大ブランドの1つ「華硝」
江戸切子のブランドとして名高い「華硝」。2008年に開催された洞爺湖サミットでは、国賓に贈るために華硝の「米つなぎ」という紋様のワイングラスが採用されました。
江戸切子には伝統的な紋様が多数あるが、華硝ではその紋様を進化させ、たとえば菊つなぎという紋様を糸菊つなぎというさらに細かいデザインに仕立て上げています。
そして、カットされた江戸切子は「磨き」を加えて完成するのですが、フッ化水素を使用して仕上げる「酸磨き」をする工房が多い中、華硝では手磨きをしているのです。
酸磨きをするとガラスが溶けてしまうため、江戸切子の命である輝きが損なわれてしまいます。しかし、手磨きにすることで、色彩や輝きが失われず、美しく輝く江戸切子が完成するのです。
このように全行程、手作業によるのも華硝ならではの取り組みであり、一流の江戸切子のブランドである秘訣であります。
江戸切子2大ブランドの1つ「カガミクリスタル」
出典:フォトリョク
1934年創業のカガミクリスタル。「暮らしに夢と輝きを」というコンセプトのもと、クリスタルガラスの製品や江戸切子まで幅広くガラス工芸製品を製造、販売しているブランドです。
カガミクリスタルの江戸切子は、180余年もの間、途絶えることなく続いてきた江戸切子の伝統的な紋様をベースにしながら、新しく斬新な紋様とその組み合わせによって、現代的な江戸切子の意匠を創造しています。また、カガミクリスタル江戸切子は、カガミクリスタルの切子士だけでなく、江戸切子の伝統工芸士の方とも協力を得て創られています。
江戸切子と薩摩切子の違い
江戸切子と薩摩切子は、似ているようでその歴史的背景も異なっています。江戸切子は冒頭でも述べたようにビードロ屋の加賀屋久兵衛がガラスをカットしたのをきっかけに始まりました。
そして、江戸切子は、現代の江東区を中心とした一帯で発展したのだが、これはこの地域で水上交通が早くに発達したため、ガラスなど重量のある物資の調達に適した土地であったためだと考えられています。
一方、薩摩切子の歴史は、薩摩藩の10代目藩主、島津斉興と深く関わっているのです。斎興は製薬館を建造して医薬品の製造推進していたのですが、強い酸の薬品を入れることができるガラス容器の製造をする必要がありました。
そのため、江戸から硝子師の四本亀次郎を呼び寄せてガラス器を製造し、島津斉彬が1851年に11代目藩主になったのを機に色被せ切子の創作へと趣向が変わり、それが発展して薩摩切子ができたのです。
藩とはまったく関係のないところで発祥した江戸切子と藩が主体となって培ってきた薩摩切子は歴史そのものが異なっています。また、薩摩切子は、江戸切子に比べて被せガラスに厚みがあるのですが、色調は淡いので、グラデーションが出ます。江戸切子は菊つなぎなど伝統的な紋様の種類が多く、また、それを組み合わせてカッティングされることもあるのが大きな特徴です。
江戸切子は、伝統的な紋様だけで花切子ぶどうや亀甲文、魚子文など多数の紋様があり、そこから新しく現代に生きる切子士が創造する紋様や組み合わせがあります。伝統だけに固執することなく、まだまだこれから飛躍する可能性のある、夢のある伝統工芸なのです。