実は足袋だけではなく、田んぼアートでも名高い行田市
毎年、巨大な水田に田んぼアートが描かれることで知られている行田市。実は、昔から足袋の産地としても有名なのです。そして、その足袋会社を舞台にした人気ドラマ「陸王」の舞台にもなっています。行田市の魅力についてお話しします。
ギネス記録にも認定された田んぼアート
行田市では、毎年色合いの異なる稲を水田に植えて、田んぼアートを作る取り組みをしています。なんと2015年には、27,195平方メートルの田んぼアートを作り、ギネスに公式認定されました。6月下旬には稲が植えられ、7月中旬にはなんとなくデザインが浮かび上がってきます。
そして、7月下旬~8月初旬にかけてくっきりと絵が田んぼに浮かび上がり、田んぼアートが美しく浮かび上がります。その後、秋になると稲穂が黄色みを帯びてきて、またイメージが変わり、いよいよ収穫の直前にはくっきりと色合いの違いが分かるようになり、美しい絵柄が見て取れます。こうした季節ごとに変わっていく姿も田んぼアートの見どころです。
田んぼアートの田植えに参加する人は約900人にものぼり、小さな子供も泥だらけになりながら田植えに取り組みました。2017年の田んぼアートのテーマは、東海上は「イナダヒメノミコトとスサノオノミコト」。稲田の守護神と美田の女神が描かれました。
また、新しく作られた南会場には、行田市が舞台になっているテレビドラマ「陸王」の田んぼアートが浮かび上がりました。毎年、デザインが変わるのも楽しみのひとつです。秋になって収穫の季節を迎えると、再び大勢の人が集まって稲刈りをします。
なぜ行田市では足袋が有名なのか
行田市はもともと木綿の産地でした。そして中山道が通っていたため旅人が行き交い、そのため旅行用や作業用の足袋が盛んに作られたのです。明治時代にはミシンを使った足袋の製造が行われるようになり、大量に生産することが可能に。
時を同じくして、忍商業銀行や行田電燈株式会社が設立されたことも追い風になり、行田市は日本一の足袋の産地として知られるようになりました。昭和13年(1938年)には、8,400足もの足袋を生産し、これは当時日本で生産された足袋の約8割を占めていたといいます。現在は市街地には、約80もの足袋業者が軒を連ねていて、行田市は日本の足袋文化の拠点でもあるのです。
行田市を舞台にしたドラマ・陸王
関東地方最大の古墳群があることでも知られている行田市。万葉集にも行田市や埼玉県に関する和歌が4首詠まれています。毎年春にはその古墳群や桜並木を抜けていくマラソン大会「鉄剣マラソン大会」が催され、多くのランナーが出場します。
そんな陸の王者を競う大会が催される町、行田市を舞台にしたドラマ「陸王」。人気ドラマ「半沢直樹」の原作や直木賞受賞作「下町ロケット」などを執筆した池井戸潤氏が原作者です。行田市は先にご紹介したとおり足袋の製造でも有名な町なのですが、老舗の足袋製造業者「こばせ屋」は資金繰りに苦しんでいます。
そんな最中、素足で走っているような感覚で走れるランニングシューズの開発に取り組むのですが、世界に名だたるトップブランドの熾烈な競争が待ち構えています。わずか社員20名という下町の零細企業が資金難や開発力不足など幾多の困難を乗り越えて、大企業に勝負を挑む池井戸作品。テレビでは主演の役所広司さんをはじめ、本格派俳優が出演し、はらはらドキドキさせてくれます。
巨大かつ精密な田んぼアート。子供から大人や高齢者まで誰もが参加できるイベントで、地域交流の場にもなっているのが魅力です。足袋は、昔の伝統を引き継ぎながらも新しいデザインのものが作られ、足袋を履いて全身のトータルコーディネートを競うコレクションも催されています。今後の発展がますます楽しみな行田市です。