鎚起銅器、日用品から生まれた美術工芸品

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新潟県の中央部、三条市や燕市の付近には昔、銅山がありました。そして唯一銅を精錬することができるという地の利を活かし、また、そこに職人の技が入ってきたことで鎚起銅器が生産されることになったのです。鎚起銅器の歴史と製造方法についてお話します。

鎚起とは

鎚起とは、金や銀、銅、錫などの金属を鎚(つち)で打って、食器や花器などを形作っていく作業のことです。つまり、金属工芸技術のことを表すのですが、なかでも燕市と三条市では鎚起銅器といって、銅に加工を施したものが長く伝承されています。


鎚起銅器は、一枚の銅板を、さまざまな鎚やタガネを用いて打ち伸ばしたり縮めたりして、さらに打出、片切掘り、象嵌(ぞうがん)など彫金の技術を用いて装飾を加え形作られます。鎚起銅器は、日常使われる食器や茶器、鍋などの製造から美術工芸品までさまざまなものが作られています。

伝統工芸品、鎚起銅器のはじまり


現在の新潟県燕市は新潟県の中央部にあるのですが、その付近に弥彦山という山があります。そして、その弥彦山近くには優良な銅が採掘される間瀬銅山という銅山がありました。

その銅山で潤沢な銅が採掘されたため、このあたりでは江戸時代の初期から和釘づくりが盛んに行われていたのです。やがて江戸時代後期になると、仙台から渡り職人の藤七という人物が現れ、銅器製造を作る鎚起の技術を伝承。

1816年(文化13年)に鎚起銅器で有名な「玉川堂」の創始者である玉川覚兵衛に受け継がれたのです。銅山があったことに加え、燕市には唯一銅の精錬所があったことも、この地で鎚起銅器が誕生するきっかけになったと考えられています。

玉川覚兵衛は、鎚起銅器産業をおこした功績を讃えられ、時の農商務大臣から賞を授与されました。

日常の道具から新潟県無形文化財へ


鎚起銅器は当初、鍋や薬入れ、やかんなど日常使用する道具として作られてきましたが、1873年(明治6年)に開催されたウィーン万国博覧会に始めて出品。その後戦前は30回以上博覧会に出品し、受賞したこともあるのです。

1894年(明治27年)の明治天皇御大婚二十五周年奉祝の折には、一輪花瓶を献上。以来、皇室の慶事には必ず「玉川堂」の鎚起銅器が使われるようになりました。

こうして鎚起銅器は、日常の道具から美術工芸品へと価値を高め、いまでは新潟県無形文化財になり、文化庁の「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」、経済産業省の伝統工芸品にも指定されています。そして、国内で唯一の鎚起銅器製造を担う地としても燕市、三条市は知られるようになりました。

鎚起銅器の製作過程~形づくる

金(鎚)で打ち起こしながら制作する鎚起銅器。簡単なように見えるのですが、さまざまな道具を使いこなして作ります。湯沸しひとつ作るのにも鳥口(鉄棒)や鎚を数十種類駆使し、形作っていくのです。

銅を鎚で打つというと、ひたすら叩いて薄く伸ばしていく作業のように思えますが、そうではありません。鎚起では銅を打って縮めたり、丸めたりしてひとつのものを作り上げます。


しかも、その出来上がりの幅や高さなど寸法がどこかに線引きなどしてあるわけではなく、すべて職人の経験と感によって作られていくのです。また、打つための鎚はすべて職人個人のもので、使い勝手がいいように重さや柄の材質、長さなどが変えられています。

それぞれの職人に合った道具は、長年修行を積む中で一番使いやすいものが作られていくのです。そして、銅は優れた伸展性を持っていますが、一度叩くと硬くなって固まってしまうため、火の中に入れ柔らかくしてから再び鳥口、金鎚を使って打つ焼鈍(焼きなまし)を行います。

銅は鉄のように冷やしても硬くなることはなく、柔軟性を保つのですが、打つと硬くなるのです。そのため、焼鈍の工程を何度も繰り返すことにより、やがて鎚起銅器の形が形成されるのです。

鎚起銅器の製作工程~仕上げ

立体として形が整った銅器には、彫金によって美しい模様などが施されます。彫金には、鏨(タガネ)という道具を用いて肉彫りという模様を浮き上がらせる方法や金属を削って模様を描く片切彫り、金や銀をはめ込んで装飾する象嵌という技が使われます。

そして、彫金が終わると最後の成形に移り、小ぶりで表面に艶を出した金槌で荒く削れた表面を整える仕上げの工程に入ります。そして、滑らかで艶のある表面や模様、形が整ったら、いよいよ着色をして仕上げに入るのです。

着色は秘伝の着色液に浸して行われ、宣 徳 色 (せんとくしょく)という中国から伝わった方法では、緑青(りょくしょう)と硫酸銅を合わせた液に銅器を浸して着色します。すると、銅器は夕映えや紅葉を思わせる紅色に染まるのです。


た、使い込むほどに色が深みを増して変わっていくのも鎚起銅器の特徴です。その他、錫を使用することで濃紺に銀のいぶしがかかったような色や銀色に鈍く光る銅器を作ることもできます。

伝統と先端技術で進化する粋な美術工芸品

美術工芸品として広く知られることになった鎚起銅器。いまでは、そうした美術品のみならず、伝統と先端技術が一体化した金属加工産業や鋳造技術を生かした産業の集積地として燕市、三条市の名は世界に知られていて、今後も発展が期待されています。

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