「物見遊山(ものみゆさん)」の意味や使い方|伊勢神宮が関係する由緒ある言葉

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長閑な風景を連想させる美しい日本語の一つに、物見遊山という言葉があります。何事においてもスピードが求められる現代社会には、若干不似合いな印象を受けてしまうほどの長閑さを感じさせるのが物見遊山という言葉です。

現在、物見遊山と言う言葉は「物見遊山で来ている訳ではないのだから、しっかり結果を出してくれよ!」や「そんな物見遊山の気分で来られても、困るのだけれどなぁ」など、残念ながら現在では批判的で否定的なニュアンスを持って用いられることが多いようです。

殺伐としているといっても過言ではない、現代社会に潤いを持たせるためにも物見遊山という言葉を掘り下げてみます。

物見遊山の意味


出典:写真AC

物見遊山(ものみゆさん)という言葉は、見物を指す言葉である「物見」と、遊びに出かけることを意味する「遊山」という、2つの言葉が繋がってできた四字熟語です。現代風に表すと差し詰め日帰りや短期で行われる「観光旅行」と言ったところでしょうか。

遊山という言葉は、古くから自然と共存しながら生活を営んで来た日本人は、山などの身近な自然の中に入り、自然を愛でることが娯楽の1つであったのであろうと、想像させる情緒豊かな素敵な言葉です。

物見遊山の由来 ・言葉の背景

国内で行われる旅行は、娯楽の要素は含まれず、食料品などを中心とした生活物資の搬送や情報伝達を目的としたものばかりでした。江戸時代に入ると生活の基盤がある程度固まり、庶民の間で娯楽を目的とした物見遊山が始まります。

封建制度を取る江戸幕府は、人の移動に対して規制を行っていましたが、現在の三重県に位置する「伊勢神宮」に参拝する場合は比較的簡単に通行手形を手に入れることができたため、お伊勢参りを口実とした物見遊山が盛んに行われるようになりました。

現在のようにメディアが発達していなかった当時は、道中目にするもの全てが新鮮でまさに物見の旅だったと推測することができます。物見遊山という言葉はこのような背景の基に全国に広まったのではないかと考えられます。

物見遊山が使える場面


出典:写真AC

現在の感覚では物見遊山という言葉に対してどこか批判的で、否定的なニュアンスが感じられると言うことは既に紹介しました。

例えば「現地視察の口実で行われている役所や議員の海外視察の実態はつまるところ只の物見遊山である」や、「海外出張は仕事が目的、物見遊山で行くわけではないのだから荷物は最小限にするべきだ」などです。

しかし本来の生活に潤いをもたらす意味で用いる場合は「初めての東京観光は、浅草や両国、上野などの下町をめぐる物見遊山が楽しい思い出となった」や「富士山を一目見ようと物見遊山に訪れる観光客は、現在日本人のみならず国際色豊かなものになっています」などの用い方が可能です。

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