「姫だるま」とは|だるまとの違いや種類・込められた思い

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全国に「姫だるま」として伝わるだるまのうち、代表的な物には2つあります。 1つは愛媛県松山市で製作されている姫だるまで、平成14年2月15日に愛媛県伝統的特産品と指定されました。

ふっくらとしたお雛様のような顔立ちと黒々とした髪、煌びやかな十二単を纏い、愛媛県で昔からどこの家庭でも飾られている姫だるまは、子どもの健康や幸せを願う誕生祝いや節句の祝い、結婚祝い、良縁祈願、子宝祈願などの贈答品としても使われ、親しまれています。

子どもが姫だるまで遊ぶと健康に育ち、病人が飾ると床からの起き上がりが早くなるといわれます。 もう1つは大分県竹田市で作られている姫だるまで、商売繁盛や家庭円満、家内安全、厄除けなどの御利益があると言われており、伝統工芸品として竹田市の無形民俗文化財に指定されています。

顔の部分が大きめで、紅をさしたような赤い小さな唇に切れ長の目をしていて、頭には太陽を表す金の菱形があり、背中には厄除けと子孫繁栄の宝珠、前から見える身体の部分は赤く松竹梅の模様で彩られています。

姫だるまの歴史


photo by 渡り鳥s さん

愛媛の松山に伝わる姫だるまの誕生については諸説ありますが、日本で初めての女帝となった神功皇后が、夫の仲哀天皇とご一緒に立ち寄られたのが古くよりの温泉地である道後温泉でありました。

神功皇后が、ご懐妊されたことを記念して作られるようになったものです。

そのときお腹に宿されていたのが後に九州地方でご出産なさった応神天皇であるという伝説が残っています。 姫だるまの可愛らしい姿は神功皇后のお姿とか、お生まれになった応神天皇だとか言われているようです。

別の言い伝えでは戦死した父を弔うために寺に留まっていた娘がその寺で亡くなり、だるまに顔を描き供養したというものもあります。

大分の竹田の姫だるまの方は、370年ほど前の旧岡藩下級武士の妻綾女(あやじょ)がモデルとされています。質素に生活を送り七転び八起きで家を支えたとあります。

もともと女だるまの「起き上がり」というものも古くからあったようで、昭和の初め頃までは「投げ込み」と呼ばれる行事が行われ、「オキャガリ」の掛け声とともに姫だるまを正月の元旦の夜、各家に投げ込み、投げ込まれた方は福が来たと喜んで神棚に祀ったりしていたそうです。

姫だるまの意味・由来・なぜ生まれたのか

松山の姫だるまは男女ペアになっていることが多いようですが、可愛らしいお下げ髪の幼い少女のような姿で赤い着物の方はご懐妊されたときの神功皇后、凛々しい眉で青や黒の着物の男に見える姿の方も、実は急死した夫の仲哀天皇の代わりにお腹に御子を宿された身でありながら、男装をして戦に出向き勝利を収めたときの神功皇后と言われているのです。

対の男装の方は錦だるまと呼ばれているようで、合格祈願、当落などの必勝祈願など勝負事でも人気があります。 竹田の姫だるまは戦争が始まり「投げ込み」の風習も立ち消えて、だるまを作る人もいなくなり、それを惜しんだ竹田市の後藤さんという方が復活させたとのことです。

何度倒れても起き上がる姿に、後藤さんが戦後復興を決意し、城下町の旧家に残るだるまを参考にして姫だるまの製法を編み出されたとのことです。そして昭和31年に「姫だるま」と名付けられました。

現在では「投げ込み」として新年に姫だるまを配って回り、新しい年の始まりは縁起のいいことにお金を使うということで福を呼び込み、向こう一年の商売繁盛や幸運を願うのです。

姫だるまの種類

愛媛の姫だるまは紙を幾重にも張り合わせた張り子姫だるま、金糸を使った豪華な織物を着せた金襴姫だるまがあります。男装と通常の神功皇后の伝統的な二体以外に、現代的な姫だるまもあります。

ヒョウ柄やハート柄などの衣装を纏いリボンを付けた姫だるまや、最近では「あいちゃん」と呼ばれる姫だるまのキャラクターのストラップや、マグネット、ハンカチや小銭入れなどが姫だるまと和雑貨のお店「港や」で購入できます。

他にも願い事を叶えてくれる「あいちゃん願い札」というのもあるようです。

竹田の姫だるまは様々な作家やクリエイターとの共同制作や企業が取り入れる場合も多く、バリエーションが豊富なのが特徴です。 伝統的な姫だるまは「後藤姫だるま工房」というところで作られていて、10センチから50センチまでの高さの物があるようです。

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