「♫~は・か・た・のしお」のCMを、耳にしたことはあるでしょうか。その「伯方の塩」を製造している、愛媛県大三島の伯方の塩工場を訪ねました。 ちょっとややこしいですが、しまなみ海道を四国側から大島→伯方島→大三島と渡ります。伯方の塩工場は「伯方島」にはなく「大三島」にあり、営業日は誰でも見学することができます。 伯方の塩生誕の歴史とは 明治時代から、塩は国が専売公社で専売制にしていました。1971年「塩業近代化臨時措置法」が成立し、それまで作られていた塩田塩を一切廃止してオーストラリアまたはメキシコから輸入した天日塩を用いて「イオン交換膜法」で化学的に塩化ナトリウム99%以上の塩のみを生産するように決まりました。 これに反対した松山市の主婦たちが、自然塩存続運動を起こしました。その運動の結果「伯方塩業株式会社」が政府から自主流通の「自然塩」の製造を条件付きで委託され創業、販売に至り、「伯方の塩」が生産されるようのなったのでした。 伯方の塩は国産ではなかった? 条件として「メキシコ、オーストラリアから輸入していた源塩(天日塩)を利用すること」「平釜を使うこと」「専売塩を誹謗しないこと」などのが出されました。袋のデザインや文言までも専売公社に許可を貰わなければなりませんでした。 1997年に塩専売法は廃止され、海水からの直接製塩も認められ、2002年には完全に塩の製造、販売、輸入は自由化されて今に至ります。 伯方の塩工場・大三島 ↑工場入り口にあるチャイムがお出迎え。順番に叩くと「は・か・たの・しお♫」のメロディになります。 伯方の塩工場では、塩製造の工程が見学できます。残念ながら撮影は許可されていませんでした。 メキシコ・オーストラリア産の源塩 原料の天日塩は、オーストラリアまたはメキシコから輸入されています。その天日塩を海水で溶かし、濾過してかん水をつくります。そのあと煮詰めて、乾燥させ粗塩または焼塩がつくられています。見学窓からは、乾燥させるために積まれた迫力ある塩の山を見ることができます。 つくり方には、誕生時からこだわっており、化学薬品を一切使わず「にがり」をほどよく残すために、日本の海水でとかして、濾過した塩水を数時間じっくり「自然乾燥」そして異物を丁寧に取り除いています。 伯方の塩の特徴 ↑こちらは、見学のお土産にいただいた伯方の塩のサンプルです。 伯方の塩は、にがりを程よく残し、海水中のミネラルなどを残して風味のある塩となっています。塩味の中にほんのりとした甘さを感じることもできます。にがりが少ない塩は塩辛いだけで、にがりが多すぎると苦味が強くまずいです。食用に優れていた「流下式塩田塩」の塩をお手本にして、こだわりのある塩づくりがなされています。 流下式枝条架併用塩田の再現 工場の東側には、伯方の塩が誕生するきっかけとなった「流下式枝条架併用塩田」を再現した施設があります。1953年から1972年に全ての塩田が廃止され「イオン交換膜製法」に画一化されるまで、瀬戸内海沿岸では写真のような「流下式枝条架併用塩田」で塩が作られていました。 専売法が1997年に廃止されて、海水から直接塩をつくることが認められるようになって、塩田製塩技術継承のためにこの施設が再現されたのでした。 流下式枝条架併用塩田では、海水をポンプで汲み上げ、まずゆるい傾斜がついた「流下盤」に海水を送り水分を蒸発させます。そして丈の枝で組んだ枝状架の上方からかけていきます。 自然の風で乾かしていくことで、水分を蒸発させてだんだん濃い塩水にします。そしてできたかん水を濾過し、煮詰めて自然塩にしていくのでした。ほどよくにがりの残ったおいしい塩になります。 塩田では、係の方がていねいにこの塩田について説明してくださいました。また塩田で作られた「されど塩」のサンプルををお土産にいただきました。 伯方の塩工場では、売店で様々な「伯方の塩」製品も販売されています。 伯方の塩ソフトクリーム 伯方の塩ソフトクリームは、うっすら塩味がついたソフトクリームに、大粒のおいしい塩「フルール・ド・セル」がトッピングされています。塩味をつけることで甘みがひきたちます。 バリィさんの塩焼 ↑こちらは「バリィさんの焼塩」。今治市のゆるきゃらバリィさんは、2012年のゆるキャラグランプリ1位。このかわいいパッケージの焼塩は、この大三島工場の売店だけでしか手にはいらない限定商品です。工場見学の記念にぜひ買いたい一品! お土産にはフルール・ド・セル(塩の花) ↑こちらがお土産に買った「フルール・ド・セル(塩の花)」です。大粒の塩で歯ごたえがあります。お料理のトッピング用に最適です。 …
-
-
お手玉の起源は諸説ありますが、最古のものは紀元前5世紀ごろ、リディア人からギリシアへ伝達された「アストラガリ」だと言われています。 後にシルクロードを通り、インドや中国へ伝わり、ヨーロッパやアジアなど世界中に広まったと考えられています。 日本に伝わったのは奈良時代の頃です。水晶や石を使っており、「石名取玉」という名前で親しまれていました。聖徳太子が使用していた石は、現在東京上野の国立法隆寺博物館で見ることができます。 お手玉の材料 出典:写真AC そのような歴史を持つお手玉ですので、材料は時代や場所によって様々です。 日本もっともポピュラーなのは小豆です。 ほかには、まるだいず、とうもろこし、そば米などが使われることがあります。珍しいものでは、巻貝やシジミの貝殻を使ったものもあり、独特の心地よい音を出します。 海外をみると、中国では日本の大豆より大きい、茶の実が使われます。ハワイではフクビという花の実を使います。最近では、ペレットというプラスチックを加工した粒が使われ、特に虫食いの心配のない球形ペレットは、世界中で使用されています。 お手玉の種類 出典:写真AC お手玉の形は、大きく分けて四つあります。 一つ目は「ざぶとん」型。底面が広く、安定した形状が特徴です。江戸末期~明治にかけて普及したもので、現在の日本で最も普及しているものです。 「お手玉大会」で使用されるのも「ざぶとん」型です。二種類の布を組み合わせるので、カラフルでかわいらしいお手玉です。 二つ目は「かます」型。穀物の入れ物である「かます」の形をしたもので、最も作りやすく、最も歴史の古い形です。 三つ目は俵型。日本人の主食であるお米を入れる俵をかたどったものです。江戸時代後半から流行りだし、現在のお手玉と同程度の重さ(40~50g)になりました。 四つ目が枕型。同じく江戸時代後半に、作られるようになりました。当時中に入れられていたのは、主にそば、ひえの実です。 お手玉の起源に関する諸説 出典:写真AC お手玉には、「振り技」と「拾い技」と呼ばれる遊び方があります。いくつかを上にあげて遊ぶのが振り技。お手玉を床に撒き、一つだけを上げながら、残りを寄せ集めたり手をくぐらせるのが拾い技です。 お手玉の歴史で見た通り、その起源には諸説があります。 冒頭で紹介したのは、元京都大学教授の藤本浩之輔氏による「紀元前5世紀説」です。古代アナトリア半島(現トルコ)のリディア人からギリシャへ伝えられた「アストラガリ」は、拾い技だったといわれています。 アストラガリは、現在の布袋に代わり、羊のかかとの骨を使って遊んでいたとされ、そのような痕跡を欧州各地の博物館で見ることができます。アジアに伝わった際には、骨の代わりに小石を使いました。 この遊びは「石なご」と呼ばれ、日本でも同様に石を使っていたと考えられています。 また、アメリカのマサチューセッツ工科大学の研究によれば、最も古いお手玉遊びは古代エジプトにあるとされます。 約4,000年前の古代エジプト壁画に、お手玉のような遊びをする様子が描かれています。 現代の日本では、「日本お手玉の会」により、1992年に9月20日がお手玉の日と制定されました。この日、愛媛県で全国お手玉遊び大会が初めて開かれ、日本のお手玉遊びの文化の継承に大いに貢献しています。 【守り続けられた粋なお座敷遊び】投扇興の遊び方と歴史|体験できるスポットも 【男なら一度はしてみたい?】芸者と遊ぶ「お座敷遊び」の魅力とルール この記事が気に入ったら …
-
平塚、藤沢、戸塚、保土ヶ谷…という一連の土地名、どこかで聞いたことはありませんか?「東海道五十三次」の宿場の名前です。 「東海道五十三次」という言葉はよく聞きますが、実際にどんな順路をたどるのか、どんな宿場町がありどんな風景が見られるかは、交通機関の発達した現代では知られにくくなっています。 浮世絵にも描かれた宿場町、東海道五十三次の魅力を解説します。 東海道五十三次とは? 出典:パブリックドメインQ 東海道五十三次は浮世絵のタイトルでよく聞きますが、そもそもは東海道にある53の宿場を指す言葉でした。江戸時代に整備された道は大きく5本あり、そのうちのひとつが東海道です。さらに東海道は、江戸から京都を結ぶ道で当時の主要都市2カ所を結ぶ重要な道でした。 昔は今ほど交通機関が発達していませんでしたので、江戸から京都まで移動するために半月も時間が掛かりました。そのため、東海道の間には53もの数の宿場町ができました。この数を取られて東海道五十三次と呼ばれるようになりました。そして、東海道五十三次には名所がいくつもあり、絵画としてよく描かれていました。 有名な浮世絵で描かれている東海道五十三次もこの宿場町にある名所を描いたものとなっています。この東海道五十三次は、歌川広重といわれる浮世絵師の手によって描かれています。よく勘違いされがちですが、東海道五十三次は53の宿場とスタートの日本橋とゴールの京都を描いているので計55枚となります。 東海道五十三次を描いた浮世絵師・歌川広重とは 歌川広重は浮世絵師として有名ですが、若いころは火消し(今でいう消防士)と兼業で絵を書いていました。35才になると息子が成人になり、火消しの仕事を譲って絵師として専門で働くようになりました。 同じ年に幕府からの依頼で、東海道を往復する機会ができました。このときに見た風景を活かして、東海道五十三次を描いたとされています。歌川広重は東海道五十三次が名声を浴びたおかげで、風景画家としての地位を確保しました。 その後も江戸の名所や、東海道五十三次の別バージョンを描き生涯を終えています。歌川広重の絵は、日本国内ではもちろん海外でも名声を浴びています。さらに、絵画に使われている青色はとても美しく、評価の高いものです。 この綺麗な青色を海外では、歌川広重の名前を取って、ヒロシゲブルーとも呼んでいます。 東海道五十三次の総距離と移動時間 出典:写真AC 東海道は、東京の日本橋がスタートでゴールは京都の三条大橋となります。その距離は約492キロです。今でこそ車を使えば半日かからずに、新幹線を使えば3時間もあれば到着できるでしょう。しかし、当時のメインとなる移動手段は徒歩でした。 先ほども紹介しましたが、東海道の移動時間は約半月、13~15日程度かかっていたといわれています。単純に距離と日数で計算すると、1日当たり35~40キロ程度は歩いていた計算になります。人の歩くスピードは1時間で4キロ程度といわれていますので、江戸時代の人は毎日9時間程度歩いていたとなります。15日間、毎日9時間歩いて移動するとは、現代では考えられないですね。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
神前式とは、神社挙式とも呼ばれており、神社に祀られている神様の前で結婚を誓う挙式スタイルです。 歴史ある伝統的な挙式として幅広い世代に人気のある神前式ですが、単に和装で式を挙げるだけでなく、家族の結びつきを大切にする点が特徴的です。神前式では、新郎新婦の後ろに両家の両親が座って式を見守ります。 また、参列者は人数が限られているため、兄弟や血縁関係の近い親族がほとんどです。 仕事の関係者や友人など、多くの人を招いて結婚式をしたい場合には、より多くの人が参列できる神社を探したり、披露宴だけの招待にしたりする必要があります。厳かな式ですが、家族や身内の暖かさを感じられます。 神前式の魅力と特徴 出典:写真AC 神前式の魅力は、日本古来の挙式スタイルで、他の国では行われないという特別感です。厳粛な雰囲気で、手入れが行き届いた庭園や歴史を感じる建物の中で行われる結婚式は、忘れられない思い出になるでしょう。また、会場によっては、雅楽や巫女舞などを依頼することも可能です。 神前式では、家族の絆や夫婦のつながりを改めて感じさせるような儀式も多く、晴れの門出で、これからの決意を新たにすることができます。 結婚を一つの区切りととらえるカップルにとっては、神前式はお互い、そして新しいつながりのできた親族との絆を再認識できます。 神前式における新婦の衣装 神前式の新婦の衣装というと、白無垢に綿帽子という組み合わせを思い浮かべる人がほとんどです。実際、由緒ある神社において神前式を執り行うときには、やはり最も格式が高い花嫁衣裳である白無垢がぴったりです。 もう少し華やいだ衣装をまといたいという場合には、白無垢と同程度の格式がある、色打掛を選ぶことも可能です。他にも、花嫁だけが身に着けることができる黒引き振袖というものがあります。こちらは、成人式などで着用する振袖とは異なり、黒地で袂が足首付近まである大振袖です。 白無垢や色打掛同様に角隠しを合わせることもできますし、洋髪も可能です。さらに、神前式でも洋装が可能な会場もあります。肌の露出は控える必要がありますが、伝統的な教会の結婚式で着用するようなドレスなどを着ることができます。 神前式における新郎の衣装 出典:写真AC 神前式では、新郎の衣装も和装にすることが多いです。新郎の和装は五つ紋のついた羽織袴で、基本的には黒ですが、近年ではグレーや白の羽織袴を選ぶ人もいます。足元は白足袋と白の草履で揃えるのが新郎の最も格式高い正装です。新婦が白無垢や色打掛、黒引き振袖を着用している場合には、新郎は他の選択肢がありません。 一方、披露宴やパーティーなどで、新婦が通常の振袖などに着替えた場合には、色紋付き袴のような略礼装を選ぶこともできます。また、新婦がウェディングドレスにしているときは、新郎はモーニングコートやフロックコートなどの洋装で合わせます。 神前式の費用と初穂料の納め方 出典:写真AC 神前式の費用は、会場の規模やオプションなどによってかなり幅が見られます。例えば、神社で披露宴まで申し込み、通常よりも多い人数の参列者を招待し、雅楽や巫女舞などのオプションをつけた場合には、トータルで250万円近くいくこともあります。 逆に、わずかな親族のみの挙式にする場合には、50万円程度で済む場合も見られます。一般的には、神社での挙式が20万円前後、新郎新婦の衣装が30~50万円程度、神社に納める初穂料が5~15万円程度です。これに、参列者の披露宴や移動・宿泊代、引き出物、写真撮影などの費用もプラスされます。 初穂料は、神社で行うときには10万円以上、ホテルや結婚式場を介しているときには5万円程度と金額が異なります。初穂料は紅白の結びきりの水引がついているものを使い、表書きは「御初穂料」です。下段中央には新郎新婦の名前を書いて包みます。 【熱海のパワースポット】來宮神社の御利益とライトアップに心洗われる 巫女の仕事を紹介|気になる給料や巫女仕事で身に付くスキルとは? この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
元々、休憩施設や情報発信施設としての役割を期待されて全国各地に設置されている道の駅は、近年、温泉に入れたり、地元の特産物の収穫体験や特産品の製作体験をしたりできる、いわば「遊べる道の駅」も増えています。 山梨県は富士山の眺めが良い絶景スポットとして有名です。山梨県の道の駅ではそんな絶景が楽しめる道の駅や山梨で採れた新鮮な食材を使った絶品グルメなど、山梨県を存分に楽しめるスポットといえます。 今回は山梨県の道の駅をご紹介します。 山梨県の道の駅『とよとみ』 出典:ウィキメディアコモンズ 南アルプスを望む国道沿い、山梨県中央市に位置する道の駅とよとみは、「平成21年度 全国直売所甲子園」の初代グランドチャンピオンに輝いた実績を持ち、バスツアーでも人気のスポットです。 ドライブの休憩だけに使うのではなく、駅自体を目的地にして訪れたい施設です。 「道の駅とよとみ」では、地元食材を使った美味しいメニューが楽しめます。中でも、地元の名産フジサクラポークを使ったメニューが人気です。訪れた際は是非、チェックしてみてください。 また、「道の駅とよとみ」で味わえるソフトクリームも人気です。定番のフレーバー以外にも、トマト、味噌、しょうが、もろこし、ゆず、かぼちゃ、桑の葉など他では味わえないフレーバーが楽しめます。 道の駅『とよとみ』の詳細はこちら。 道の駅『とよとみ』|アクセス・営業時間・地元産豚やグルメ・お酒 山梨県の道の駅『つる』 photo by Cheng-en Cheng 日本を代表する名峰富士山の裾野の町、山梨県都留(つる)市に位置するのが道の駅つるです。広大な農地とリニアモーターカーの実験線を目の前で見ることができるのが道の駅つるの特徴です。美しく力強い大自然に囲まれた環境の中で独自のコンセプトで運営されている道の駅つるは非常に興味深い道の駅だと言えます。 都心から離れていない割に意外なほど観光スポットも豊富な山梨県都留市はショートトリップで訪れるのには最適な場所だと言えるでしょう。 「道の駅つる」では地元の養豚業者で飼育されている幻のブランド豚「富士湧水ポーク」を使用した豚肉料理の数々が楽しめます。「道の駅つる」に訪れた際は是非、チェックしてみてください。また、地元野菜を使ったジェラートもここでしか食べれない絶品グルメの一つです。特濃の野菜の味が楽しめます。 道の駅『つる』の詳細はこちら。 道の駅『つる』|アクセス・営業時間・富士湧水ポークの絶品豚料理 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
赤ちゃんの歯が生え始めるのに合わせて行われる「お食い初め」と呼ばれる儀式があります。 赤ちゃんの歯が健康に生えることを願っての儀式ですが、この儀式に必要不可欠になるのが「石」です。 今回は、どんな石がいいのか、どこで手に入れるのか、お食い初めの石について解説します。 お食い初めの石に込められた願いとは? 出典:Pixabay 「お食い初めの石」とは、歯固めの風習で使われている石、歯固め石のことです。歯固め石は生後3ヶ月が経過すると歯が生え始めるのに合わせて、石のように固く丈夫な歯が生えるよう準備するものです。 また歯が丈夫であることが、長生きをする上で欠かせないものだとみなされていたため、健康長寿を祈るという意味合いでも使われてきました。 そんな歯固めの風習ですが、具体的にいつ頃から始まった風習であるかは分かっていません。 また全国各地で歯固めの風習を見ることができますが、各地域によって歯固めに使うものが異なっていて、どの地域でも歯固めに石が使われていたわけではなかったようです。 お食い初めの石はどこで手に入る? 出典:Pixabay お食い初めで行われる歯固めの儀式に必要不可欠な歯固め石ですが、そんな歯固め石を入手する方法は4つあります。 1つ目は、日枝神社や子安神社など祝箸と一緒に授与される神社でお宮参りをする方法です。 これらの神社のようにお宮参りのご祈祷を行った際に歯固め石を授与される神社があります。気になった人は調べてみるといいでしょう。もしくは、神社の境内にある小石を拝借し、お食い初めの儀式を終えた後に元の場所に戻すのも良いです。 2つ目は、家の近くにある氏神を祀っている神社の境内にある石を1つ2つ見繕ってお借りする方法です。 そして神社の境内の石をお借りする場合は、境内の隅など往来の少ない場所からにしましょう。 かならず神社の方に許可を取ってから持ち帰るようにしてください。そして、お食い初めが終わったら元の場所に戻すようにしましょう。 3つ目は外出先や家の近くの河原で拾う方法です。 河原で歯固め石を見繕う場合は小さく凹凸のないものを選ぶといいでしょう。 4つ目は、Amazonや楽天などの通販サイトで購入する方法です。 通販サイトで購入する方法は神社や河原に赴く必要がなく手間暇がかからないので、非常に手軽に歯固め石を入手できます。 ただし、神社や河原などで石を拾ってお食い初めを行う場合は、人の通行が少ない場所から石を取り、熱湯消毒をして乾かしてから使用してください。お食い初めが終わった後は、石を洗って感謝の気持ちを込めて元の場所に戻しましょう。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
・江戸扇子について 江戸扇子は東京で作られている扇子を指します。京都で生まれた扇子作りが江戸に渡り、現代まで独自に発展し受け継がれてきました。 江戸扇子の特徴 江戸扇子の特徴は、扇骨の数が14〜15本と少なく、しっかりとした扇骨に折り幅が広いのが特徴的です。骨太なその形状やデザインからは男性的な印象を受けます。 また、図柄も京扇子ほど華やかなものは多くないですが、その分シンプルかつ落ち着いていて味のある扇子となっています。 ・江戸扇子は全て「一貫生産」 江戸扇子の製作は絵付けや扇骨作りを除いて全て1人の職人によって行われています。最初から最後まで同じ職人が手がけるので、大量生産が難しくその分価値も高いです。 新しい人材を育てようとすると全ての技術を注ぎ込む必要があり、一人前になるまでには長い修行が必要となります。そのため、今も活躍している江戸扇子職人は年々数が少なくなってきているのが現状です。 しかし、全ての工程を1人で担うからこそ職人のこだわりが一貫して表れる点が京扇子には無い魅力であり、同時に江戸扇子職人の魅力ともいえます。 ・江戸扇子の製作工程 扇面加工、折り作業、仕上げを全て一貫して行います。扇面加工では紙を裁断し、貼り合わせます。その紙に色や図柄が施された後、扇骨を差し込む穴を広げます。それから紙に折り目をつけ、形を整え、息を吹き込んで穴を広げ、扇骨を差し込んでいきます。そしてここからしっかりと癖をつけてさらに形を整え、閉じた時にパチンと合う扇子を仕上げていきます。 これら1つ1つの作業には相当な技術が必要となってくるため、江戸扇子職人に求められる技術の量は大変多いです。しかし、だからこそファンも多く、そんな職人に憧れて大変な修行期間を経て技術を受け継いできた人たちもいるのです。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
出典:フォト蔵 本格焼酎ブームの影響もあり、幅広い層で人気となっている焼酎。それにともない、現在ではさまざまな割り方も増えてきています。 皆さんは、どのような方法で飲んでいるのでしょうか。 実は、焼酎というのはその割り方によって、さまざまな味わいの変化を見せてくれるお酒でもあります。 いつも決まったように同じ飲み方をしていては、少々もったいないかもしれませんよ。 焼酎にどのような味わいを求めているのか、あるいは種類や銘柄によっても割り方に合う合わないがあるので、ぜひ覚えておきたいところです。 焼酎のおすすめの割り方その1【ロック】 出典:写真AC ロックは、焼酎本来の味わいを楽しむのに向いている割り方です。 この飲み方が広まったことが、焼酎ブームを作るきっかけになったともいえるほどです。 ストレートではきついと思われがちな焼酎ですが、飲みやすい銘柄が増えてきたことでロックでもかなり飲みやすくなりました。 香りを引き立てる割り方でもあるので、芋や米、麦といった原料の風味をほどよく残した乙類の本格焼酎におすすめです。 作り方は、まずできるだけ大きめの氷を、あらかじめ冷やしておいたグラスに入れてください。このとき、氷を軽く回してから水を捨てると、グラスの温度が下がってよりゆっくり溶けるようになります。 その氷に当てるように、ゆっくり焼酎を注いでいきます。 あとは、グラスに水滴が出てくれば飲みごろです。ゆっくりと、焼酎の香りや味を楽しみながら飲んでください。 好みで、梅干しやレモンで酸味をくわえても、美味しく飲めます。 ロックは、時間が経つにつれて、少しずつ水割りのように味わいが変化していくのも特徴です。 ですから、氷自体もできるだけ美味しい水で作られたものを用意しておきましょう。 アルコール濃度は高くなるので、もっとも酔いやすい割り方でもあります。 焼酎のおすすめの割り方その2【お湯割り】 出典:写真AC お湯割りは湯気によって香りが広がり、味がまろやかになる割り方です。 焼酎の本場の鹿児島では定番となっていて、焼酎の魅力をもっとも引き出すことができる、通の割り方ともいわれています。 まずは、お湯を70℃ぐらいまで冷ましてから、湯呑などに注いでください。焼酎は、そのあとから注ぐのがポイントです。そうすることで、温かいお湯が自然に対流を起こして混ざり合ってくれます。 また、お湯の温度を焼酎が下げることで、もっともおいしいといわれる40℃前後の温度となるのもポイントです。 温度を計るのが面倒なときは、一度別の器に移してから注ぎ替えると、ちょうどよい温度となります。 割合については、焼酎の黄金比といわれる「焼酎:水=6:4」がおすすめです。まろやかな味わいを重視する場合は、ちょうど半々ぐらいに薄めるとよいでしょう。 小ぶりの酒器で少しずつ作りながら、ゆっくり時間をかけて飲みましょう。 干物やエイヒレなど、うまみのある乾き物をおつまみにすると、よりその香りを引き立ててくれます。 焼酎のおすすめの割り方その3【水割り】 …
-
出典:写真AC 長野に限らず、全国でも上位の酒蔵として知られている小野酒造の「夜明け前」は、フルーティーで味の変化も楽しめる日本酒です。長野の酒蔵の中でも、全国新種鑑評会において何度も金賞を受賞している酒蔵で、完成度の高い日本酒がそろっています。 中でも、「夜明け前」は厳しい寒さの長野の地の利を活かし、伝統的な手作りを忠実に守りつつ、中央アルプスの霊峰「霧訪山」からの伏流水を仕込みに用いるなど、この地でしか製造できない仕上がりになっています。 最適な条件で生み出された夜明け前は、雑味が少なく、穏やかで優しい味わいの中にキレが良く、飲みやすい日本酒になっています。開封してからも味の変化が見られますので、時間をかけて楽しみたい日本酒です。 長野県のおすすめ日本酒その7「幻舞」 photo by regvn 酒千蔵野の「川中島 幻舞」は、透明度の高さを日本酒にしたような、綺麗で華やかな香りと味わいが楽しめます。大吟醸は第54回長野県清酒品評会において優等賞を受賞しており、メロンのような豊潤な香りとすっきりとした酸味は、飲みやすくくせになる美味しさです。 また、特別本醸造は淡麗で旨みや酸味、甘みなどのバランスが絶妙です。独特な風合いが料理を引き立て、食が進む日本酒です。こちらの蔵元は長野県でも最も古く、日本国内においても7番目という老舗中の老舗です。 完成度の高い日本酒を、高いコストパフォーマンスで提供したいというスタンスで丁寧に醸造しており、購入者からの満足度も高いです。購入してから味わいの変化を楽しめる点も、多くのファンの心をつかんで離さない理由の1つです。 長野県のおすすめ日本酒その8「黒沢」 黒沢酒造の「黒沢」は、生もと仕込みの日本酒で、甘すぎず、フレッシュな風合いが飲みやすいです。こちらの蔵元は全国でも屈指の高い標高で、地元の酒米や自家栽培の酒米を用いて、長野らしい日本酒を製造しています。 高原ならではの澄み切った空気や豊富で清冽な湧き水に恵まれており、長野の湿度が低く冬の寒さが厳しい環境を活かし、高品質な日本酒を造り続けています。 「黒沢」は開封したばかりの頃はオイリーな甘さや苦味が強い味わいですが、しばらく置いておくと、ドライな酸味を強く感じられるようになります。自分の好みのタイミングを探す楽しさもあり、リピーターも多い日本酒です。 隠れた銘酒が豊富な長野の日本酒 長野県の日本酒の魅力は、知名度が高くないにもかかわらず、数多くの賞を受賞するような名酒が多数あるところです。丁寧な製造やこだわりの原料のため、他の地方の蔵元のように量産することは難しいものの、一つ一つ大切に作られた日本酒はいずれも深い味わいがあり、予期せず素晴らしいお酒に出会った時の喜びが格別です。 また、アルプス山脈から湧き出てくる豊富な水は、日本酒の仕込みだけでなく、地元の良質な酒米を育てるときにも役立っており、他の地域では味わえない複雑な香りを楽しめます。 良く知られている銘柄を購入するとはずれはないですが、運命の出会いともいえるような最高の日本酒に巡り合える可能性もありますので、長野の日本酒にも挑戦してはいかがでしょうか。実際、知人に紹介された、飲んだことがないので試してみたという軽い気持ちで飲んだ結果、すっかりファンになったという人も少なくありません。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
-
「なし崩し的に事を進めていく」といった文章を目にしたことはありますか? この例文で使われている「なし崩し」という言葉を目にしたり耳にする機会はよくあるとは思いますが、その意味をしっかりと理解している人は意外に多くはないのではないでしょうか。 「なし崩し」という言葉の意味やその由来などを紹介していきましょう。 なし崩しの意味 出典:写真AC 「なし崩し」という言葉は、「ものごとなどを徐々に進めて片づける」ということを意味しています。 よく、「雰囲気や勢いに任せて」という意味や、「うやむやにして」という意味で「なし崩し」という言葉が使われている場面を目にしますが、本来こういった意味はありませんので、「なし崩し」という言葉を使う際は注意してください。 なし崩しの由来 ・言葉の背景 「なし崩し」という言葉の意味は先述の通りであり、「少しずつ」という言葉に言い換えることができます。間違った使い方で使ってきた人にはピンとこないかもしれませんが、ここでイメージしやすいように「なし崩し」という言葉の語源や由来に触れてみましょう。 「なし崩し」という言葉は、本来「済し崩し」と書きます。つまり、元々は借金の返済に関する言葉だったわけです。 借金を少しずつ返済していき、完済に向かっていく様子を表す言葉として使われていたことが転じて、ものごとを進める様子を表す言葉として使うようになりました。 こうして語源を見てみると、「なし崩し」という言葉が「少しずつ」と言い換えることができるのもイメージしやすいでしょう。 なし崩しの例文を紹介 出典:写真AC 「なし崩し」という言葉が「少しずつ」として言い換えられることをイメージできるようになったところで、「なし崩し」という言葉を使う場面を見てみましょう。 まずは、冒頭で紹介した「なし崩し的に事を進めていく」という文章を見ていきます。 この例文は、仕事上のプロジェクトやプライベートでのリフォーム計画など、自分やチームの立てた計画について、計画の終着点に向かって一つずつ着手し、手を進めていく様子を指した文章になります。 もう一つ違う場面で使う例文として、「労働環境がなし崩しに悪化する」という文章も見ていきましょう。 この文章の場合は、終着点は見えませんが、自分あるいは周囲の労働環境が徐々に悪くなっていく様子を指しています。 後者の例文では、「成り行きで」といった間違った意味として使われる「なし崩し」と近い使い方でもありますが、あくまでも「少しずつ」悪くなっている様子を指しています。 「なし崩し」という言葉に含まれる「崩す」という単語にマイナスイメージを抱く人もいると思いますが、実際には良い意味でも悪い意味でも使うことができる言葉になります。 なし崩しの類義語・対義語 「なし崩し」という言葉の類義語と対義語を紹介していきましょう。 まずは類義語から見てみましょう。すでに紹介しているように「少しずつ」や「徐々に」という言葉が分かりやすいでしょう。 他には「じわじわと」といったように変化に時間がかかる様子を表す言葉が類義語にあたります。 次に対義語についてみてみましょう。「急速に」といったように、ものごとの変化のスピードが速いというイメージを持てる言葉が対義語にあたります。 なし崩しを正しく使う 出典:写真AC 「なし崩し」という言葉の意味や語源、文章中での使い方などを紹介してきましたが、皆さんが知っていた「なし崩し」の意味は間違ってはいなかったでしょうか? …