書画作品や掛け軸などにハンコが押されているのを見たことがあるでしょうか?それは、一般的な印鑑とは違った意味や効果を持つ「落款印(らっかんいん)」と呼ばれるものです。 今回は、落款印(らっかんいん)についてご紹介します。 落款印(らっかんいん)とは 出典:写真AC 落款印とは、落成款識印(らくせいかんしいん)の略で、主に書道や絵画などの書画作品を完成させた際に作者が押す印のことです。 一般的な印鑑とは異なり、落款印は本人であることの証明や承認の意味は持たず書画の”完成”と”自身の作品である印”としての意味を持ちます。 書画作品に押す場合は、『引首印(いんしゅいん)』『姓名印(せいめいいん)』『雅号印(がごういん)』の3種類の印を押すことが正式とされており、この3つを「三顆印(さんかいん)」と呼びます。 落款印の使い方 出典:写真AC 上記にもある通り、落款印は何か重要な書類に押すものではなく作品が完成した際やその人の作品であることを証明するための印です。また、それだけではなく落款印を押すことでその作品をより引き立たせる効果もあります。 作品に落款印を押す際、主に3つの捺印(なついん)が必要になります。それが、既述にもある『引首印(関防印)』『雅号印(朱文印)』『姓名印(白文印)』です。 引首印(関防印)が作品の右上に、姓名印(白文印)が作品の左中央下、雅号印(朱文印)が白文印の下の位置になります。それぞれの意味や使い方は以下で詳しく見ていきましょう。 落款印の選び方 出典:写真AC サイズ まず、落款印を選ぶ際に重要なポイントの1つがサイズです。作品によっても落款印のサイズは異なるのでどんな作品に押すのかを考慮しながら選ぶと良いでしょう。 例えば、短冊のような小さな作品に大きな落款印を押したり、逆に半紙のような大きな作品に小さな落款印を押しては見栄えが良くありませんね。ですので、その作品にあわせて適したサイズの落款印を選びましょう。 作品に適した落款印のサイズの目安は以下を参考にしてみてください。 短冊 9mm 葉書 9~12mm 色紙 9~15mm 半紙 18~21mm 印材 次に、落款印を選ぶ際に押さえておきたいポイントが印材です。木材や石材など様々な印材がありますが、その種類によって印の味わいが異なります。 中でも、落款印に使われる特殊な石材「巴林石(ぱりんせき)」は根強い人気があり、深い味わいと高級感のある印材です。巴林石(ぱりんせき)は、モンゴル産の石材で比較的もろい石です。なので、丁寧に扱わなければなりません。 印材である柘(つげ)は、安価で手に入れやすく一般的な印鑑でも用いられている馴染み深い印材の一つです。この木材は将棋の駒や櫛(くし)などにも使われており、耐久性があるため「安価で丈夫なものが良い」という方にはおすすめの印材でしょう。 …
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葬儀などでよく目にする、「供花」という言葉。この読み方や意味が分からず、とまどってしまったという人も多いのではないでしょうか。 今回は、供花の意味や読み方、贈る際のマナーや予算の決め方までご紹介します。 「供花(くげ)」とは違う供花の読み方・意味とは? 出典:ウィキメディアコモンズ 供花の読み方は、一般的には「きょうか」といいます。 お通夜やお葬式の際に、祭壇などに供える花の意味です。 多くの場合、祭壇の両側に飾られますが、ほかにも会場全体を彩ったり、入口などに花輪として置かれるなど、さまざまな形のものがあります。 読み方自体はそのまま一般的な音読みなので、それほど難しいものではないでしょう。 ただし、線香やろうそく、果物などを供える「供物」になると、その読み方は「くもつ」となります。少し読み方が変わってくるので、注意しましょう。 一方、仏教用語では供花が「くげ」という読み方になります。 仏教では、釈尊が亡くなったさいに、天からさまざまな宝花が降ってきたという逸話があり、葬儀に花を飾る習慣は、これが由来となっていると言われています。お坊さんなど、仏教関係者はこちらの読み方を用いることがあります。 また、亡くなってから通夜を迎えるまでに故人の枕元に飾っておく花を「枕花」といいます。こちらの読み方は、「まくらばな」です。 供花や枕花には、おもに自然の花である「生花」が用いられます。読み方は「せいか」といいます。生花店などに注文するさいにスムーズになるので、おぼえておくとよいでしょう。 このように、葬儀にまつわる花の読み方にはさまざまなものがあります。場面に応じて、その読み方もいろいろ変わってくるので気をつけましょう。 神社での写真撮影はOK?|撮影可能範囲やマナーをチェック! 残暑見舞いを出す時期は?送る際の注意点や書き方、例文 お礼参りで神社へ訪れる前に確認すること|方法や金額、タイミング この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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出典:写真AC 道の駅なんごうの周辺観光施設を見てみます。市街地から道の駅なんごうに向かう手前(北側)にある北浦港からは、水中観光船「マリンビュワーなんごう」が出発します。1日7本、観光船が島を巡ります。 島の真ん中に穴の開いた腕島を近くから眺められます。船からはガラス越しに海中を眺めることができ、トンビへのえさやりともども人気を集めています。乗船料金は大人2,200円、中学生以下1,100円です。 北浦港からさらに北に向かい、日南市役所を越えて進むと、飫肥(おび)城址があります。城の跡が残っているだけではなく、武具の豊富に展示されている歴史資料館があり、日露戦争後のポーツマス条約調印で知られる小村寿太郎生家があり、重要伝統的建造物群保存地区に指定された城下町があります。 厚焼き卵も飫肥の名物で、他にも揚げかまぼこの飫肥天もあります。比較的地味な観光地かもしれませんが、その風情はすばらしく、訪れた人の満足度は極めて高いようです。道の駅なんごうからは車で30分強です。道の駅なんごうから南に、夫婦浦トンネルを抜けて進みますと、40分で太平洋に突き出た都井岬にたどり着きます。 都井岬(といのみさき)は、野生馬の「岬馬(みさきうま)」がいることで知られています。岬馬は大人しく、人慣れしていて危害を加えるようなことはありません。岬馬が草を食む牧歌的な光景を見れば、必ず来てよかったと思うことでしょう。 都井岬にはあちこちに馬がいて、岬の先端にはそして見晴らしの良い灯台が2基あります。都井岬の灯台からの眺めは絶景で、運が良ければ種子島まで見渡せます。都井岬は、他にもソテツ自生地や都井岬ビジターセンターなどみどころ満載の観光地ですので、たっぷり見て廻ると時間が必要です。 旅の駅ランキング1位の道の駅なんごうに行こう 出典:写真AC いかがでしたか?絶景が味わえ、海の幸と山の幸、豊かなフルーツに恵まれた道の駅なんごうについて見てきました。ツウ好みの観光スポットの中心にある道の駅に、ドライブの途中にぜひ訪れてみましょう。「旅の駅ランキング2017」で1位となった道の駅なんごうの絶景をご自身の目で見てみてください。 公式サイトはこちらです。http://www.michinoeki-nango.jp/ 宮崎の観光スポットをもっと知りたい方にはこちらの本がおすすめです。 宮崎県に関するおすすめの記事はこちら。 宮崎の郷土料理「チキン南蛮」の絶品レシピ 道の駅『えびの』|アクセス・営業時間・周辺観光スポット・グルメ 鵜戸神宮の美しい景色を楽しむ|古事記にも登場する由緒正しい神社 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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「予想していた通りの結果で思わずほくそ笑む」というような笑いを表現する言葉はいくつかありますが、「ほくそ笑む」という言葉の意味や由来をご存知ですか? 【意味】 自分が計画していたり、狙っていた通りに物事が進んだ時に、人知れず笑みを浮かべること。 【由来】 北叟(ほくそう)は、喜んでいる時も憂う時にも少し笑っていたという故事から。 【類語】 「ニンマリする」「ニヤける」「ニンヤリ笑う」 【対義語】 「愉快に笑う」「機嫌よく笑う」 【英訳】 ー ほくそ笑むの意味 出典:写真AC この「ほくそ笑む」の意味は、簡単にいうと一人で「にやりと笑う」「こそこそ笑う」「ひそかに笑う」ということです。ただ、これは顔の表情の話で、この笑みの裏には心理的な要素が含まれています。 最初から自分が計画していたり、狙っていた通りに物事が進んだ時に、人知れず笑みを浮かべるというという行為が「ほくそ笑む」ということです。 感情的な要素が多く含まれており、無意識に表情に出てしまう笑みでもあります。 基本的には他人と同調して笑うということではなく、自分一人で笑う様子であり、声を出して笑うことはありません。 笑うという漢字が用いられていますが、実際には表情や態度を表す用語と考えた方が本来の意味に近いです。 ほくそ笑むの語源 出典:写真AC ほくそ笑むの「ほくそ」は中国の「北叟」が語源と言われています。 北叟とは、中国の北方で砦に住んでいたとされる塞翁のことです。 北叟は、喜んでいる時も憂う時にも少し笑っていたという故事があります。そこから生まれたのが「ほくそう笑む」という言葉で、それが転じて「ほくそ笑む」になったとされています。 室町時代の「源平盛衰記」にも「ほくそ笑む」の例が見受けられます。 ほくそ笑むの使い方 出典:写真AC 自分の試験勉強が上手くはかどり、おまけにヤマが当たった時などは「テストの点数が予想以上の結果でほくそ笑む」という使い方が出来ます。 一方、友人が試験勉強もせずに遊んでばかりいて、結果としてテストの点数が悪かった時などは「勉強を怠った友人の点数を見てほくそ笑む」といった使い方も出来ます。 会社での業績によってもほくそ笑む場面は出てきます。自分の仕事ぶりや会社の業績がイマイチと思っていた時に「想像以上のボーナスで思わずほくそ笑む」ということもあります。 このように、ほくそ笑む場面としては物事が上手くはかどった時だけでなく、人の結果が悪い方向性に向いてしまった時にもほくそ笑む場合があります。また、結果が想像とはかけ離れたものになった時にもほくそ笑むことがあります。 …
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詩吟とは、文字通り詩を吟じること。漢詩を読み下したものに、独特の節回しをつけて詠うものです。 頼山陽の「川中島」で、鞭声粛粛(べんせいしゅくしゅく)~と詠われていたのが有名です。詩吟には、剣舞や詩舞のような踊りを伴うものもあります。 詩吟の歴史 出典:写真AC 詩吟のルーツは、古事記や日本書紀の時代にあると言われています。平安時代にも、貴族の間で漢詩や和歌が盛んに詠われていました。その後実際に詩吟が行なわれたというルーツは、江戸後期にあります。当時、武家の子供たちは私塾や藩校で学問を修めていました。 学校で漢詩を詠むときに独特の節回しで詠んだことから、詩吟が始まりました。幕末の漢学者である広瀬淡窓が、九州の日田に咸宜園(かんぎえん)という私塾を開き、咸宜園への入学と卒業の歓迎会や送迎会の折に漢詩が吟じられていました。咸宜園には、全国から5000人近くが集まり学んでいたため、国内に詩吟が広がりました。 詩吟の特徴 詩吟の特徴として、まるで「唸っている」ように聞こえます。しかし、詩に節をつけて詠っている、日本の伝統芸能です。詩吟のコンクールでは、一般に漢詩と和歌が詠まれますが、俳句や現代詩など、詩であればどのようなものでも詩吟で詠うことが可能です。 また、詩の内容をしっかりととらえ、詩の描く情景や心理描写を再現することが大切です。ミ・ファ・ラ・シ・ドの五音に節や強弱をつけ、詩のイメージにあわせたテンポやリズムで詠うのが特徴です。 日本吟剣詩舞振興会では、話し言葉のアクセントを大切にし、安定した音程で芸術的に感動を与えることが重要としています。最近では、若い方でも入門しやすいように、シンセサイザーと組み合わせるなど、現代的な手法も採り入れられています。 詩吟に使われている漢詩とは? 出典:写真AC 詩吟に使われている漢詩とは、一体どのようなものなのでしょうか。文字通り、中国の「漢」の時代に詠まれた詩という意味合いもあります。中国の詩を意味する言葉で、大きく分類すれば、古体詩と近体詩に分けられます。高校では、近体詩の五言絶句や七言絶句のような絶句を習うことが多いです。 絶句は四句から成るもので、五言絶句なら五文字の一行が四句、つまり二十字で構成されています。また漢詩では、「韻を踏む」ことが有名です。どの行の最後の文字が韻を踏んでいなければならないか、きちんと決まっており、そのルールに従って詩を作るのです。 この漢詩独特のルールに従って、日本でも漢詩が作られるようになりました。最初にご紹介しましたが、頼山陽の川中島で「べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる」と吟じられた詩が有名です。時代劇の登場人物が吟じています。 この漢詩は、上杉謙信と武田信玄が川中島の戦いで、熾烈な争いを繰り広げた当時の状況を詠んだものです。敵に気付かれないようにそっと馬にムチを当て、千曲川を渡っている様子が偲ばれる漢詩です。 また、中国の詩人としては、李白や杜甫、孟浩然なども有名ですね。李白の「友人を送る」では、「青山 北郭に横たわり」、杜甫の「春望」では、「國破れて 山河在り」、孟浩然の「春暁」では、「春眠 暁を覚えず」と詠われています。 能楽師の仕事を紹介|気になるなり方や将来性は? この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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出典:写真AC 日々私達が何気なく使っている日本語は、様々な意味や、時代背景や歴史的な由来を持って今に至っているのを皆さんは御存知でしょうか? 今回ご紹介する言葉も、実は様々な時代背景をもって現代の私達に使われているものなのです。 「彼は海外で料理の修行をしてきたのだけど、日本に帰ってきた彼の料理はそんな彼の背景をうまく映し出した、和魂洋才のお料理に仕上がっているね。」とこんなフレースを耳にされたことはないでしょうか?今回皆さんにご紹介するのは、「和魂洋才」という言葉です。 【意味】 日本の良き精神を残しつつ、西洋の優れた部分を加味させ、それらを融合させてより優れたものを作り出す、もしくは相乗効果でより良いものにすること。 【由来】 明治時代の自分たちのアイデンティティを大事にしつつも、欧米の優れたところを取り入れて、より優れたものを生み出そうとする動きから。 【類語】 「和魂漢才」「和洋折衷」 【対義語】 「中体西用」 【英訳】 ー 和魂洋才の意味 出典:写真AC では、この「和魂洋才」と言う言葉はどのような意味を指しているのでしょうか? 「和魂洋才」と言う言葉は、日本の良き精神を残しつつ、西洋の優れた部分を加味させ、それらを融合させてより優れたものを作り出す、もしくは相乗効果でより良いものにする、という意味を持っています。 和魂洋才の成り立ち 出典:写真AC ではこの「和魂洋才」はどのような歴史的背景や由来を持っているのでしょうか?この「和魂洋才」という言葉が生まれたのは明治時代になります。 江戸時代の鎖国政策により、日本は海外から閉ざされた国でした。そこへ江戸末期に、皆さんも御存知のペリーが来航することにより日本は開国を迫られ、日本は尊王派(そんのうは)と攘夷派(じょういは)と2つに分かれて争うという事態に陥ります。その後、大政奉還を経て明治政府が出来上がり、日本は一気に体制と政策を転換していきます。 開国を遂げた日本は、様々な知識層が欧米へ勉学に出て行きます。海外の発展を目の当たりにし愕然とした彼らは、追いつけ追い越せと必死に海外で学び日本へ欧米の技術を持ち帰ります。その後日本は大きく近代化を進めていくことになります。 その様な中で、自分たちのアイデンティティを大事にしつつも、欧米の優れたところを取り入れて、より優れたものを生み出そうとする動きが現れます。その明治時代の彼らのスピリッツを示した言葉として「和魂洋才」という言葉が生まれました。 この言葉の由来は、それより時代の遡ること、平安時代の学者である菅原道真公が同じような意味の言葉を残している事から来ていると言われています。学問の神様としても知られる菅原道真公が生きた時代は、明治の時代とある意味似たところがありました。 当時は大和の国の中に、中国の学問と文化が流入してきており、菅原道真は大和の国の精神も大事にしつつ、中国の優れた学問を取り入れることの重要性を説いています。 後の世に、そんな菅原道真公の精神を表した言葉として和魂漢才という言葉が江戸時代の世に広まりました。こういう背景から取ったのでしょう、和魂洋才と言う言葉ができたとされています。 この記事が気に入ったら いいね!を押して最新情報を受け取ろう
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「土用の丑の日」という言葉は、聞き慣れている人が多いのではないでしょうか。毎年夏になると、この「土用の丑の日」という言葉で、うなぎがよく宣伝されています。 そんな日本人の生活に馴染んでいる「土用の丑の日」ですが、その由来やなぜうなぎを食べるようになったのかを知っている人は意外に少ないのではないでしょうか。 今回はそんな「土用の丑の日」にスポットを当て、その由来やなぜうなぎを食べるのかなどを紹介します。 実は土用の丑にはうなぎ以外を食べる風習もあるのです。 土用の丑の日とは https://www.photo-ac.com/ 土用の丑の日は、古代中国の陰陽五行説にもとづいて定められています。 陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つを、暦に当てはめて考えます。 季節や日にちを五行で考えると、実際の生活に役立つからです。 五行を四季に当てはめる場合、春は命が育つ季節なので「木」、夏は暑いから「火」、秋の実りは「金」、冬の寒さは「水」とします。 立春、立夏、立秋、立冬の前の約18日間に「土」を当てはめたのが「土用」です。 四季の変わり目に土用が来るため、「次の季節を迎えるための準備期間」と考えられています。 土用は1年に4回ありますが、現在の日本では「土用の丑の日」といえば、夏の土用の丑の日を意味しています。 日本には古くから、夏には栄養のあるものを食べる食習慣がありました。 真夏の暑い時期に、滋養強壮に良い食べ物を食べると、夏バテを防げるからです。 夏の土用の丑の日にうなぎを食べるのは、その中でも代表的な食習慣となっているのです。 なぜ土用の丑の日にうなぎを食べるのか http://www.irasutoya.com/ 土用の丑の日にうなぎを食べることの始まりは、平賀源内がうなぎ屋に教えたのが最初という説が有名です。 夏場はうなぎが売れないため、源内がうなぎ屋に「本日丑の日」と紙に書いて貼ると良いと教えたのです。 うなぎ屋は源内に言われた通り、店先に「本日丑の日」と書いて貼りました。 うなぎ屋には「丑の日にうなぎを食べると良い」と信じた客が集まって大盛況。 源内がうなぎ屋に教えた宣伝の方法は、日本中に流行するようになりました。 「丑の日はうなぎ」と書かれたポスターを貼るのは、江戸時代と同じ宣伝です。 源内が「丑の日はうなぎ」と教えたのは、うなぎ屋の宣伝が理由で、根拠がなかったという説もあります。 しかし日本には、夏に栄養豊富な食べ物を意識する習慣がありました。 万葉集に「夏やせにはうなぎが良い」と書かれていることや、丑の日に「う」のつくものを食べると夏負けしないという言い伝えも伝わっています。 土用の丑の日以外にも食べたい!うなぎの栄養価 https://www.photo-ac.com/ うなぎは、丑の日の食べ物の中でも栄養価が高く、人気の高い食べ物です。 …
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愛媛県で昔から親しまれているお菓子「母恵夢(ポエム)」。愛媛県東温市にあるショップと工場見学ができるスポット「母恵夢スイーツパーク」で製造過程を見てきました。 愛媛の人気お菓子「母恵夢(ポエム)」とは? 愛媛の銘菓として長年親しまれているお菓子「母恵夢(※以下ポエム)」。「母の恵みの夢の味」というキャッチコピーでCMもしていました。 美味しいと県外でも人気があり、テレビにとりあげられ、ファンも多いお菓子です。知り合いからも「愛媛の手土産にはポエムがいい」というのをよく聞きます。 ポエムは、卵黄を混ぜた白あんをバターやバニラを使った柔らかいビスケット生地に包んだ和洋折衷のお菓子。とても甘くてしっとりやわらかいです。福岡や東京のお菓子「ひよ子」に似ていますがもう少し洋菓子寄りです。 ↑母恵夢スイーツパークの掲示板より ポエムは、昭和25年「バター万十」として誕生しました。まだ、バターや卵をつかったお菓子が珍しい時代で、モダンなお菓子として注目されました。昭和28年に、フランス帰りの画家が「この味はまさにポエムだね」と言ったことから「母恵夢(ポエム)」と命名されました。 母恵夢スイーツパークで工場見学 愛媛県の東温市に2016年3月にオープンした「母恵夢スイーツパーク」。 ポエムの製造過程が見学できたり、子どもの遊び場や足湯があったり、ちょっとしたテーマパークの装いです。焼き立てポエムを食べることができるスペースもあります。 さっそくポエムの製造過程をみてみましょう。 成形されたポエムが流れていき 焼き上げられ 冷まされて ばらばらになって 1つずつ検品されます。 床では「ポエムルンバ」が活躍中? ポエムの材料が紹介されてあり、ポエムに詳しくなれます。 イライラ棒でも遊びながら学べます。 ↑レアポエム発見!!色付きのポエムを見つけてSNSにアップすると、ガチャガチャを回しておまけがもらえるという楽しいイベントもあります。 できたて「プレミアム母恵夢」 こちらは、できたてのポエムが味わえるイートインスペース。そしてここで売っているのが、限定のお菓子である「プレミアムポエム」。なんでも材料が選りすぐりのものだそうです。プレミアムポエムは、スーツパーク限定。ここでしか買えません。 バニラ味とチョコレート味があります。一つづつ買って実食。ほんのり温かいです。 ポエムの穴はむらなく焼き色をつけて、中までしっかり火を通すためです。 ポエムを食べると口中の水分を持っていかれるような感覚になります。そのためコーヒーも一杯無料です。そしてなんとみかんジュースも! ジュースの出る蛇口があります。愛媛には水道の横にポンジュースの出る蛇口があるという冗談から生まれたもの。 いろんなポエム 母恵夢スーツパークのショップでは、普通のポエムをはじめ、いろんな種類のポエムや他の種類のお菓子も売っています。 こちらが定番のポエムとちょっと小ぶりのお菓子であるベビーポエム。ふつうのポエムは丸型、ベビーポエムは四角い形です。人気No.3だそうです。 ↑スイーツパーク限定品のお菓子「プレミアムポエム」。素材や製法にこだわっています。 …
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日本六古窯とは、信楽焼、備前焼、丹波焼、越前焼、瀬戸焼、常滑焼の6つ。 日本の陶磁器の歴史の中で、中世から生産が始まったものを言います。 陶芸体験をすると、陶芸が身近になり、いつもの陶磁器の買い物や、美術館で陶磁器を見るのが楽しくなります。また、歴史ある日本六古窯で陶芸体験をしてみると、陶芸の歴史や文化などに触れることもできます。 今回は、そんな日本六古窯でできる陶芸体験を紹介します。 信楽焼の陶芸体験 信楽陶苑たぬき村 https://www.photo-ac.com/ 一番人気の陶芸体験は電動ロクロコースです。電動ロクロの使用料は1台1時間となっています。 1時間は長いような気がしますが、実際にやってみるとあっという間。 粘土いじりの手触りが楽しいので、もっとずっとやっていたくなります。 信楽焼といえば狸という方には、狸作りコースがおすすめ。 自分の手で信楽焼の狸を作れます。 狸作りは難しく見えますが、伝統の型に粘土を詰めて作るので、初めての人も大丈夫です。 お子様にはロクロを使わない手びねりコースがおすすめです。 素焼きの器に絵付けをする絵付けコースもあります。 また、お食事つきの陶芸体験もあります。福々パックコースは、絵つけコースとお食事のセット。 たぬきパックコースは、手ひねりコースとお食事のセットです。 信楽陶苑たぬき村 http://www.tanukimura.com/top.html 備前焼の陶芸体験 夢幻庵 備前焼工房 陶芸が初めての人も、腕に自信がある人も、 大きな工房の充実した設備を自由に使って楽しめる陶芸体験です。 1時間の陶芸体験は1人から申し込めます。 大窯(登り窯)・小窯焼成コースと、ヒダスキ焼成コースがあり、どちらのコースも手びねり・電動ロクロ・焼成のみがあり、好きなコースを選べます。 大窯は3ヵ月前後・小窯とヒダスキは30日前後で仕上がります。 1時間で物足りない人には、陶芸1日体験(1日~数日)のコースもあります。 1週間に1日~2日通って、半年かけて陶芸の技術を身につけられる陶芸体験もあります。 お店や美術館で眺めるだけと思っていた備前焼が、身近に感じられる陶芸体験となっています。 …
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香川県と聞いて多くの人は「讃岐うどん」をイメージするのではないでしょうか?香川県丸亀市もうどんの産地として知られ、多くのうどんファンが足を運ぶ名店が数多く存在しています。しかし実は丸亀市にはうどん以外にも世界に誇る伝統工芸が脈々と受け継がれているのです。 それは、香川県丸亀市が世界に誇る伝統工芸「丸亀うちわ」です。 風流な夏の風物詩に欠かせないうちわですが、うちわの逸品として高い評価を得ているのが今回紹介する「丸亀うちわ」です。丸亀うちわの歴史や魅力について紹介していきたいと思います。 丸亀うちわの歴史 mtk.さん(@mtkhys)がシェアした投稿 – 10月 22, 2016 at 7:04午前 PDT 香川県丸亀市のうちわ作りの歴史は遥か昔に遡ります。 今から400年以上前の慶長5年(1600年)には九州の熊本で丸亀の旅僧が一宿のお礼にうちわの製法を伝授したことから「熊本来民(くたみ)うちわ」の文化が始ったと言われていますので、丸亀うちわの技法は江戸時代以前には既に確立していたと考えられます。 金毘羅参りが盛んに行われるようになった寛永時代には、お土産物としてのうちわの存在が注目されはじめました。寛永10年(1633年)に、金毘羅大権現の別当・金光院住職宥睨(ゆうげん)が考案した天狗の羽団扇にちなんだ朱色に丸金印の「渋うちわ(男竹丸柄うちわ)」が発売されると、うちわはいちやく人気商品となりました。 丸亀藩も藩士の内職にうちわ作りを奨励するなど藩を上げて積極的にうちわ作りに力を入れた結果、代表的なうちわ産地としての基盤を築くことになりました。1780年代に藩が制作を奨励した「女竹丸柄うちわ」や、「奈良うちわ」を手本に作られた「塩屋平柄うちわ」など、他の産地のうちわが融合してできたのが現在に伝わる「丸亀うちわ」です。 丸亀うちわの特徴・作り方 一見シンプルな作りに見えるうちわですが、工業製品を使用せず紙と竹で作られる丸亀うちわは、完成までに実に47もの製造工程が必要となります。 特に握り手である「鎌柄」や薄く削がれた竹が広がる「糸山」、扇いだときに風を生む紙の部分を内部で支える「穂骨」は、熟練した技術を持つ「骨師」と呼ばれる職人によって1つ1つ手作業で作り上げられます。 歴史的に丸亀では「うちわの竹骨」の製造を行いって各地のうちわ産地に出荷しており、多くの骨師の熟練工が存在しました。 出荷先のうちわの特徴に合わせたを竹骨を製造する機会が多いことから、各産地で作られるうちわの特徴が本来の丸亀うちわに融合されるようになったと考えられます。 完成までの製造工程はほぼ職人の手作業で行われるので、熟練工の存在が丸亀うちわの要と言えます。 例えばうちわの面積の大部分を占める「地紙」は、破れにくくするために素材の紙の質や厚さに合わせて糊の濃度を調節するなど卓越した職人技が求められます。 このように全47もの工程を職人の手作業で丁寧に作り上げるのが丸亀うちわの特徴であり、高い評価を受ける所以と言えるでしょう。 丸亀うちわ職人について ちえさん(@chieppu15)がシェアした投稿 – 7月 2, 2017 …