平安時代の色による身分区分
実は平安時代には身分や階級によって着られる衣の色が決まっていました。平安時代といっても時期によって色や区分が異なっているので、ここでは一例として藤原道長や頼道などによって栄えた平安時代中期を見ていきたいと思います。
平安時代中期では天皇は黄櫨染、東宮は黄丹、親王から臣下四位までは深紫、臣下五位は深緋、臣下六位から臣下初位までは深縹、無位は黄となっていました。
このように身分によって着られる色が細かく決まっていたため、着てはならない色(禁色)やこの範囲であれば、着てもいい色(ゆるしいろ)などが存在していたようです。
襲の色目について
出典:写真AC
襲とは、平安時代、十二単の袍 (ほう) の下に重ねて着た衣服の事です。
宮廷の女性たちは五衣の色の組み合わせ、襲色目の美しさに大変気を配っていました。
襲色目は、四季の移ろいを表現していて、季節ごとに色の組み合わせが異なり、例えば春には桜の襲や山吹の匂の襲を着るのが、ふさわしいとされていました。
夏には「藤の襲」や「卯の花の襲」、秋には「若楓の襲」や「女郎花の襲」、冬には「移菊の襲」や「梅の襲」を着るのがいいとされ、季節にあった襲を着るのが当時はお洒落とされていました。
十二単という名前の花がある?
photo by TANAKA Juuyoh (田中十洋)
十二単といえば装束としてのイメージがありますが、実は十二単と呼ばれる花があるのをご存知でしょうか?
なぜ花の名前が十二単なのかといいますと、花が上から下に連なって咲いているさまが、まるで十二単のようだったことにちなんで名づけられたそうです。
この十二単という花は、またの名をアジュガといって白と青紫色の花を咲かせますが、十二単という名称で一般的に指すのは花の色が青紫色のもののみとなっています。
十二単から見る日本芸術の美
出典:写真AC
十二単について、紹介してきました。
十二単は平安時代に登場してから、受け継がれてきた長い歴史を持つ、伝統衣装です。四季の美しさを衣のグラデーションで表現する、襲の色目の美しさや色の名前一つ一つに日本独特の繊細な美を垣間見ることが、出来るのではないでしょうか。